enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

四月の虹

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18日土曜日の朝。
雨はまだ音を立てて降りこめている。
時折、台所の換気扇あたりから、風の小さな唸り声が響いてくる。

ひどい天気…それでも、ネット上で雨雲レーダーを見てみると、夕方には晴れるようだった。今日は虹が出るかもしれない…薄暗い部屋のなかで、ちょっと嬉しい気持ちになった。

 

夕方、少し早めに買い物に出た。見上げた空はどこまでも青く晴れあがっている。ちょっと当てが外れた気持ちになった。虹が出そうにはなかったから。

買い物を終えて、いったん家に戻り、カメラを持って再び外に出る。
虹は出ないとしても、海に行ってみたかった。何しろ、もっと新鮮な空気を吸って、もっと歩きたかった。

家の前で見上げた青空は、海に近づくにつれ、しだいに翳っていった。
ぽつりぽつりと、雨が落ちてくる。
海への道を半分以上進んだところで、雨は、朝と同じような音を立てはじめた。

やむなく、シャッターが降りた建物の軒下に駆け込んだ。道路を挟んだ向かいのマンションの玄関先にも、ジョギングの二人連れが雨宿りをしているのが見えた。

雨音は激しくなったり、少し静かになったりを繰り返した。雨粒がアスファルトを打ち付け、流れてゆくさまを、ぼんやり眺め続けた。

短いような長いような宙ぶらりんの時間。
でも、空はどこかしら明るく、雨上がりの虹を予感させた。ただ、西向きに雨宿りをしている私には、真上の空も、後ろに広がる東の空もまるで見えない。

その時、向かいの雨宿りの人が隣の人にうながすように、東の空を指さし、弧を描くような仕草をした。
『虹が出たんだ』と思った。慌てて道路に飛び出し(車はほとんど走っていなかった)、東の空を見上げる。

虹だった。

鉛色の空に大きなアーチを描く虹。

小やみになった雨のなか、海へと急いだ(海に着くまで、あの虹が消えませんように…と願った)。

荒れた海だった。波打ち際に降りてゆく。
虹は、天がけるアーチを失いながらも、海から立ち昇る梯子のような姿で残っていた。

短いような長いような不思議な時間。

いつのまにか、雨は止んでいたのだった。


2020年4月現在も世界じゅうで進行しているコロナ禍は、おそらく偽りの仮想世界の出来事なのではないか、と疑った。
今、美しい虹が出ている鉛色の世界の感触だけが確かなのだった。

四月のその虹の光は、つかのまだけ、強く存在した。

消えてゆく虹の色をふり返り、ふり返り、見る。
気がつくと、海風にさらされた体が冷え切っていた。

 

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f:id:vgeruda:20200419124737j:plain㋃18日の空と海

 

f:id:vgeruda:20200419124751j:plain雨上がりの浜辺から

ドイツと日本…彼我のリーダーの違いとは?

 

14日朝、いつもよりは早い時間にベランダに出た。深く息を吸い込んだ。
目の前のカイヅカイブキの葉先がキラキラと光っていた。
昨日の雨の滴りだった。
カメラレンズを通して覗くと、水晶の玉のように、雫のそれぞれが緑の景色を逆さまに?映していた。

 

午後になって朝刊を読み始める。
多和田葉子のベルリン通信」という記事には、最近のドイツ、ベルリンのようすが報告されていた。”通信”の最後は次のようなものだった。

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「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数を静かに語りかけていた。」

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こうした記事を読む前、私は、”日本の首相から、4月12日に、ツイッターやインスタグラムを通じて発信された動画”というものを見ていたのだった。

それらを目にして、げんなりした気持ちになった。
日本は、近代という道のりをどのような道筋でたどってきたのだろうか?と遠い気持ちになった。
そばにあった『日本史年表』をぱらぱらと眺めてみた。
なぜか、「社会生活」欄の「1936年」に記載された「…ああそれなのに等流行」という事項に目が留まった。

そういえば、流行のリアルタイムではないけれど、子どもの頃に聴いたことがある唄の名だった。
耳に残っていた「あぁそれなのに それなのに」という嘆きの言い回しは、♪  2020年4月14日の私の気分 ♪ にも通じるものがあった。

 

♪  ニュースじゃ昨日も「三密自粛、家にいて」
 何か悲しい通勤電車
♪ ニュースじゃ今日も「三密自粛、家にいて」
 思うは貴方のことばかり

 さぞかし官邸で今頃は
 お忙しいと思うたに

 あぁ それなのに それなのに
 ねえ おこるのは おこるのは
 あたりまえでしょう

 

f:id:vgeruda:20200415115745j:plain4月14日の朝

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4月14日の記事(『朝日新聞』2020年4月14日 朝刊から)

 

 

ミステリアスな『ミステリウム』

 2年前、『日の名残り』という翻訳小説を読み始め、2日目で投げ出したことも忘れ、今回、完全休館に入る直前の図書館から借りてきた本が『ミステリウム』だった。

 しかも、著者のエリック・マコーマックの名もまったく知らないのだった。

  

『ミステリウム』の表紙:
ウィルス模様?を散りばめている。風変わりなデザインなのに、手に取って、すんなりと読み始めてしまったのは、2020年の今だからか?    f:id:vgeruda:20200413194840j:plain

 

翻訳小説…私にとって最初の壁はいつも、その翻訳文だった。
作品の内容以前に、その訳文がかもしだす雰囲気?に慣れることができるかどうか。
そしてもちろん、最強の壁は、著者がここぞと注力して描写を試みる対象に関心がもてるかどうか。また、その描写の癖のようなもの…過剰だったり、もってまわっていたり…につきあってゆけるかどうか。

『ミステリウム』の翻訳については、その戸惑うほどに生真面目な形にも、じきに慣れていった。
見知らぬ著者についても、その視線の先にある世界、それを捉える語り方の新鮮さにしだいに惹かれていった。そして、その見知らぬ世界を知ってみたいと思った。
つまり、『この小説を早く読みたい…』という自然な欲望が生まれていったのだった。


こうして、『ミステリウム』では、”いつもの壁”を乗り越え、見晴らしの利く尾根線に出ることができた。それだけでも嬉しかったけれど、さらに、予想もしなかった新しい景色に夢中になることもできた。

私にもまだまだ本との出会いがあるんだな…巣ごもり暮らしの賜物かもしれなかった。

 

   

  

 

 

家…時々浜辺。

 

6日、日没に間に合うように、海に向かった。
平塚海岸から”ダイヤモンド富士”を見る久しぶりの機会なのだった。

海に向かう通りの交番の前で、なぜかお巡りさんが直立していた。いつもは見られない光景。明日には出されるはずの「緊急事態宣言」について思い及ぶ(いつか私が、”緊急事態下にもかかわらず、ふらふらと歩き回る市民”となる日が来たりするのだろうか?)

浜辺に着く。
ダイヤモンド富士”があらわれる時間を待つ人…それらしい人の姿は、思ったより少なかった。
しかも、富士山は、西の空のどこにあるのかも判然としない。

日没までの小半時、波打ち際を行き来する。そして、波に洗われては蘇る砂の輝きを眺めた。

太陽が西の空に吸い寄せられてゆく時間は、そのまま、富士のシルエットが西の空に浮き上がってくる時間だった。

東の空の月も、十三夜を越えたふくらみをくっきりと見せるようになった。

時満ちて、太陽は富士の頂上にかかった。
ダイヤモンドというよりは、ルビーのような太陽が、透き通った輪郭を刻々と減じていく。
富士の山頂から一粒のルビーが一瞬で消えてしまう。

その余韻として、薄闇と鎮静の時間が控えている。
夜明けの神聖な太陽が、あっけなく間延びした日常の時間に溶け込んでしまうのに対し、日没のあとは、ひたひたと親和的な気分にみたされてゆくようだった。

 

f:id:vgeruda:20200407221639j:plain4月6日の海

 

f:id:vgeruda:20200407221656j:plain4月6日の富士山に沈む夕日

 

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4月6日の月

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ミレーの『春』との新しい出会い。

 

4日の夕べ、いつものように眺めていたネットのなかに、ヴァイオリンを弾く仁和寺のお坊さんの姿があった。
境内を吹き通る風にひるがえる白い衣、湧き上がる弦の音色。

今、地球上ですでに進んでいるのかもしれない”天人五衰”の相…そうした現実をまだ見通していない私は、天上の楽人の姿にひととき元気づけられた。

明けて5日朝、TV番組のなかでミレーの『春』が採り上げられたことを知った。

ミレーの『春』の絵を後生大事に想い続ける私にとって、書き留めないではいられない特別なできごとだった。

すぐに本棚から『週刊美術館 13  ミレー コロー』小学館 2000年)を取り出した。

『春』の頁を開く。
虹の光を生み出す鉛色の美しい空。光と空気がせめぎあう不思議な空間。そこには、虹が立ち顕れた瞬間の光と空気が織りなすもの、それこそ”動的平衡”の瞬間が、そのまま映し出されているように思える。

また、今回、『春』を眺めなおし、あらためて気がついたこともあった。

虹に近い鉛色の空から、白い鳥が3羽、青みをのぞかせる小さな空をめざして、飛んでゆこうとする姿だった。『これらの白い鳥は…?』と思った。

『春』の下段の解説には「作品には亡くなった友人ルソーへの追悼の思いが込められているともいわれる」とある。

確かに、『春』には、小道の奥の木陰に、『晩鐘』の農民のような静かな姿でたたずむ人が描きこまれている。
また、『春』の風景はすみずみまで細やかに描かれ、ミレーの、というより、テオドール・ルソーの描く風景に入り込んだような細密な空間になっている。

とすれば、今朝初めて気がついた”天がける白い鳥”も、やはり、ミレー自身の祈りの形なのかもしれなかった。

先の見えない巣ごもり暮らしのなかで、こうした音楽や絵画との小さな新しい出会いに、ひととき息をふきかえす瞬間がある。
小さく息をふきかえしながら一日一日を繰り返してゆくのだ…。

 

【過去の”enonaiehon”から、ミレーの『春』を拾い集める】
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2011.12.18 

三十数年ぶりにセガンティーニの絵を観た。20代で出逢ったセガンティーニは、当時、三島由紀夫から伊東静雄へと辿って知り得た画家の名であり、作品だった。長い間、大原美術館を訪ねた際の若い思い入れ、感傷の記憶だけが残っていた。今、60歳で観るセガンティーニ・・・その絵筆の跡、絵の具の輝きは生々しく、初めてセガンティーニという画家その人に出逢った気がした。質素な便箋に書かれたつつましい文面を覗き込みながら、その短命を痛ましくも感じた。小さな印刷画として展示されたアルプス三部作「生」の前で、ジョルジョーネの「テンペスタ」についても思い出した。400年の時差がありながら、二人の画家は、樹木の根元に休む母子像を描いている。空と大地を背景に木陰に安らう新しい聖母子像にも思える。そして、「テンペスタ」の雷鳴の空はミレーの「春」の虹の空へとつながっていく。唐突に、私は思う。時代も風土も文化も異なる彼らの絵の中に、現代の日本に生まれた私は、果たして何を観ようとしているのだろうかと。また、ヨーロッパと同じ400年の時間のなかで、日本に生きた絵師・画人が個人として描くべきものがあったとするなら、それは何だったのかと。

                                 

セガンティ-ニ「生」アルプス三部作 1896-1899f:id:vgeruda:20200405094035j:plain

 

ジョルジョーネ「テンペスタ」1507

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ミレー「春」1868-1873f:id:vgeruda:20200405094053j:plain

 

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2014.4.6

ベランダのクリスマスローズの一つめの花は色褪せ、種をつけた。その大きな葉の下には、小さな白いスミレが隠れるように咲いている。かつて比叡山で見かけたスミレより頼りなげに咲いている。
図書館への道の途中で、似たようなスミレの群れがあった。まわりには小石がごろごろ。けっこう、たくましいのかな、と思う。
図書館で伊豆山近くの大縮尺の地図をコピーさせてもらう。四時半のチャイムが鳴って、外に出る。地面が濡れていた。ちょうど雨上がりだったのだ。
噴水の上の空を見上げると、きれいな鉛色だった。昨日気がついたケヤキの若葉が光っている。西の雲の切れ間からの光で不思議に明るい。虹こそ出ていないけれど、ミレーの『春』に描かれている光線と同じように、非現実的な明るさだった。なんてきれいな光だろう。

アリアケスミレ?

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【追記】

~2020年4月4日、休館中の図書館に本を借りに行って…~

 

コロナ禍による休館中でも、予約していた本を受け取ることができる。
久しぶりの図書館の階段では、踊り場の二手の流れが、昇り・下りに分けられていた。

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図書館近くの大きな桜の樹は、この春、大きな切り株へと変じていた。

知らなかった…。
在ったもの、長年見ていたものが、いつのまにか姿を消していた。

気を取り直し、博物館の裏手の桜の樹を訪ねてみる。
空が隠れる花盛りだ。

来年もまた。

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石畳の小道で、カツラの小さな葉、元気そうな若葉にホッとする。
昨年、無残に刈り込まれ、その葉をあらかた失っていたのだから。
今年の秋の黄葉を楽しみにしているよ。

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巣ごもりのなかでさまよう。

私が巣ごもりしている部屋の壁に、小さなカレンダー(『やむぬはぎーねー うみんはぎーん 山がはげると海もはげる 』)が掛かっている。

そのカレンダーの4月の写真は、春らしい光にあふれていて、見るたびに気持ちが明るくなる。

辺野古の近くの浜辺だろうか。
写真の解説には「浜下りの日。旧暦3月3日、潮の引いたリーフで貝やたこを捕っていた。…」とある。

 

今や、日がな、食卓上のパソコンや新聞を眺め暮らすだけの私にとって、カレンダーというものは、整然とした数字の行列にしか過ぎなくなってしまった。
それでも、その写真を見れば、はるか南の島々、美しい海や空へと心誘われてゆく。

そしてまた、日々の新聞のなかを覗きこめば、紙面よりずっと広々とした空間へと誘い出してくれる文章に出会ったりもする。

今朝の新聞では「福岡伸一 動的平衡 ウイルスという存在」がそうだった。
その小さな文章空間を通り抜けると、今も世界じゅうの人々が必死に忌避している新型コロナウイルスの恐ろし気な顔が、くるりと別の顔をこちらに向けるようになっている。小さくても広がりのある不思議な空間。その空間には、文字たちが行儀よく行列しているだけなのに。

パソコンのなかのさまざまな情報も、私のよどんだ脳味噌をかきまわしてくれる。

昨日読んだ『これで「軽症」と言うのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記』においても、私の脳味噌は、見知らぬ他者の棲む異空間に入り込み、夢遊病患者のように(他者の夢を味わうように)さまよったのだった。

このところ、読書に一層身が入らなくなった私の脳味噌は、あてどない自分の身体や現実を離れ、ネット空間にさまよい出ることで、かすかに点滅を続けることができている。

 

ベランダの植木鉢で生きるスミレたち

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世界の人々にとって”失われた2020年”に?

 

”2020年”という年が、4月1日現在に至るまで、こうした展開になってゆくとは…。

1月…年始は穏やかな良い天気が続いた。
15日出発の家族とのミャンマー旅行、そして25日からの友人たちとの草津行きに備え、体調に気をつけて過ごした。
新型コロナウィルスはまだ、日々の暮らしに姿をあらわしてはいなかった。
29日夜の上京では、インフルエンザを気にしてマスクをしていた。
31日の映画館でも、しっかりとマスクをした。
ただ、これがインフルエンザを気にしていたのか、それとも新型コロナウィルス感染を意識したのか、よく覚えていない。

そして2月…友人とのメールに、”コロナ”や”マスク”の言葉が混じるようになった。

3月に入って、カレンダーに書き込まれていた予定がしだいに失われていった。

2020年の三か月の時間が過ぎ去った今、私たちは”失われた2020年”を過ごしてゆくのだな、と感じている。
そして閑居する小人は、『これからどうやって過ごすべきなのか?』と、ぼんやりした頭で思いめぐらしている。

この瞬間も、世界で、日本で、ウィルスとの闘い、のっぴきならない闘いに直面している人々がいるのだ。

”失われた2020年”…小人には何ができるだろう?

 

人魚姫の公園に咲く花(3月31日)

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