平塚海岸から見る9月8日の夕焼け
どこかで期待していた。
政治の季節が新しく移り変わる気配を。
現実には、ほとほとうんざりの残暑が終わりそうもないのだった。
(鬱陶しく居座り続ける気圧配置が恨めしい。)
野分の季節。
台風一過。
抜けるような青空。
新しい季節を知らせる風。
いつ吹き始めるだろうか。
新しい季節を呼び込む新しい気圧配置図を早く見たい。
ヒヨドリの雛(8月9日)
ベランダの前に鬱蒼とはだかるカイヅカイブキ。
今夏、その緑の奥から、ヒヨドリの雛が巣立った。
8月は、来る日も来る日も、ほとほと暑かったし、熱かった。
毎日、グツグツと煮え立つシチュー鍋か、空焚きしたフライパンの上で暮らしているような気がした。
そんな日々のなか、ふと気がついた。
『このところ、ずっと雛がエサをおねだりするような声が聴こえているなぁ…』と。
で、その所在を確かめようと、ベランダに出てみた。
啼き声の方向に耳を澄ませる。
単眼鏡を覗く。
啼き声の在処を見定める。
『いたいた…』
家族にも見てもらう。
ベランダの前のカイヅカイブキの緑のなかで、ヒヨドリが子育てをしていたのだった。
ヒナは何しろ、一日中おなかを空かせて啼き続けた。
親鳥は、威厳を感じさせる声で、時々短く啼くのだった。
眼にはさやかに見えねども…処暑を迎える頃となった。
親子の声や姿は、少しずつ遠のいていくようだった。
9月になった今、カイヅカイブキの緑にからまるブドウの木には、”一房の葡萄”が残るだけとなった。
(甘いのだろうか? 酸っぱいのだろうか?
ベランダから手繰り寄せて、一粒味わってみたい気がした。)
そして昨日、再び雛の啼き声がヒィヒィと聴こえた。
ベランダに出てみる。
単眼鏡を覗く。
『いたいた…』
あの”一房の葡萄”の奥に、ヒヨドリたちの姿があった。
前よりずっと近い場所で、しかも目の高さだった。
すると、親鳥が鋭く啼き続けながら、カイヅカイブキの枝をバサバサと渡ってベランダのほうへ近づいてくる。
あっという間に親鳥はベランダの手すりの上に留まった。そしてなおも鋭く啼く。横目で私を見ながら…はっきり、怒っている…。
『申し訳なかった! 近くで覗いたりして…つい、見たくなって…』
恐縮した私がすごすごと部屋に戻ろうとすると、親鳥は再び、バサバサとカイヅカイブキに戻っていった。
(8月のヒヨドリの個体と同じだろうか? 別の個体だろうか?
もう、観にいったりしないからね…。)
ブドウの小さな実をくわえる親鳥(8月9日):雛のための水分補給用?
立派に実った一房(8月9日)
残り少なくなった実(9月5日):
9月のヒヨドリたちは、この”一房の葡萄”の左手奥に棲んでいる。
喜びの感情は短い。あっという間に消えてゆく。
喜びの感情や幸福感より、悲しさ、口惜しさ、怒りの感情のほうがずっと長続きする。
なぜだろう? 生き残るため、生き延びるためには、そちらのほうが都合がよいのだろうか?
つかの間の喜び。
例えば…古い映画『鉄道員』をなつかしく観て…。
そのラスト近く、鉄道員の妻が斜め右上を見上げ、魂を遠く飛び立たせたような表情を浮かべるシーンがある。
映画のなかでその構図は二度繰り返される。
二度目となるラスト近くのシーンでは、その眼は、その表情は、すでに宗教的な光をまとったように見える。
(それと同じ眼をグレコの絵の中で観たことがあるように思った。調べてみると、それは『改悛するマグダラのマリア』(ウースター美術館 アメリカ)に描かれた眼・表情だった。私にとって、こんな小さな発見がつかの間の喜びだったりする。)
つかの間の喜び。
例えば…残暑の中で、いっとき涼しい風を感じる時…。
例えば…残暑の中で、高い空、風に梳き流されてゆく雲を見上げた時…。
(いつも、季節が進むなかに、つかの間の喜びがある。)
つかの間の喜び。
例えば…現政権の終焉を告げる報道に接して…。
(しかし、その喜びの余韻に浸る間もなく、現政権を継承・維持する政権が誕生するのだと知らされた。)
逆戻りだ…何もまだ終わっちゃいなかった。
喜びは本当に長続きしないものなのだ。
【進んでゆく季節】
9月3日の空と雲
9月3日の波:台風の季節が始まる。
9月3日の風
色づきはじめたドングリ
その日はやって来た。
8年間、踊りつづけていた”赤い靴”がその動きを止めた。
政権の中枢で踊りつづけることが自己目的化しているように見えた。
私にとって、その踊りは長かった。
踊りの渦に巻き込まれ、周りの社会が崩れてゆく様子を、ジリジリしながら見続けてきた。
諦めと徒労感があった。
私のなかにあるべき光を見失っていった。
そんな時間も止まった。
私はまだ眼が回っているような感じがする。
けれど、もう”赤い靴”の踊りを見続けなくてすむ。
ただただ、ホッとした2020年8月28日。
海を見たくなる。波の音を聴きたくなる。
浜辺や波打ち際には、”素足”の人々が休日を楽しんでいる。
まるで、♫ 九月になれば COME SEPTEMBER ♫のメロディが重なるような風景。
この夏の残暑でボロ雑巾のようになっていた私にも、何だか、新しい朝、新しい季節が待っているような気がしてきた。
とりあえず、わずかな時間であっても…。
家に帰って、”素足”を洗う…何と気持ち良いこと…。
今夏、『渡来人と帰化人』(田中史生 KADOKAWA 2019年)を読んだ。
これまで、”渡来人”という用語に抱くイメージは、エキゾチックで謎めいた、そして捉えどころのないものだった。
ただ、”相模国府”の歴史を学んでいた頃は、その”渡来人”の足跡”というものが、”相模国府”の歴史・遺跡のどこかに残っていたりするだろうか? そんな問いかけ・関心を持っていた。
そのなかで今も記憶しているのは、9世紀初め(延暦24年)に登場する”百済教法”(桓武天皇女御。大住郡に田2町を与えられる)や、9世紀前半(弘仁11~13年)に相模介として、また9世紀半ば(承和9年)に相模守として再登場する”百済勝義”といった特徴的な名前だ(その名が”百済”であることは、「百済観音像」との縁を感じさせ、ことに謎めいて響いたのだ)。
また、”百済王”を”クダラノコニキシ”と読むこと、桓武天皇の母”高野新笠”も百済系”渡来人”の系譜に連なること(このことは、1998年に天皇…現在の上皇…の会見のなかで提示されたことによって、私の頭により強く刻み込まれた)、さらに、桓武天皇女御”百済教法”に与えられた”大住郡の田2町はどこなのか?という疑問や、相模国司”百済勝義”は承和9年に前任国司”源 融”とどのように係わりを持ったのだろうか?という妄想的疑問などが、頭の片隅に残り続けていた。
で、今回、そうした記憶を残しながら『渡来人と帰化人』を読み進めていった。
そして「Ⅵ 渡来系氏族の変質と「帰化」の転換」(「2 永遠なる帰化人」‐「中華国日本の百済王」)のなかで言及されている「菅野真道」の名前に引っかかりを覚えた。
その名は相模国司として見覚えがあったように感じ、『大磯町史1 資料編 古代・中世・近世(1) 』や『日本史総覧2』・『国司補任』などを確かめると、”菅野真道”は延暦20年に相模守の任にあったことが分かった。
しかし、その菅野真道が「百済を出自とする渡来系氏族」(『渡来人と帰化人』p.263)であることは、今回初めて知った(ちなみに、延暦14~15年・18年の相模守”和〔ヤマト〕 家麻呂”も百済系渡来氏族であることも、今回改めて気づかされた)。
また、この菅野真道について『渡来人と帰化人』(p.263)のなかでは、
「正統な百済王族出身と認められることで出身氏族のランクを上昇させたい真道は、桓武王権における百済王氏の血統保証機能【註】をうまく利用したのである。桓武を中華の皇帝と讃えた真道は、百済王氏の王権における存在意義を誰よりもよく理解した人物であったといえるだろう。」
【註:桓武天皇が、母方氏族の和氏が百済王族に連なると主張する「和氏譜」に基づき、延暦9年、百済王氏を「朕の外戚」と宣言し、その血統を保証しようとしたこと(『渡来人と帰化人』p.261をもとに要約)、を指す】
と書かれている。このような新鮮な視点を加えつつ、相模国の歴史や東国の国司たちを見直した時、また新たな切り口も得られるように感じた。
はたして、8世紀末から9世紀半ばにかけて相模国司となった百済系渡来氏族の”和 家麻呂”や”菅野真道”や”百済勝義”たちが、実際に平塚の地に足を踏み入れたのかどうかは分からない。また、「徳政相論」で示された菅野真道の考え方が相模国司としての職務のなかでどう影響したのか・しなかったのか、知る由もない。
しかし、この『渡来人と帰化人』は、その著作の意図(背表紙には、
_______________________________________
歴史の教科書は「帰化人」を「渡来人」と言い換えて、彼らを古代「日本」への移住者・定住者と説明してきた。しかしそれでは、古代社会の実像から大きくかけ離れてしまう。古代史料に即して「渡来」と「帰化」」の意味や違いを捉え直し、渡来人を〈移住者〉と再定義。〈移動〉をキーワードに、現代「日本」と繋がりつつも、異質で多様な古代の「倭」「日本」の姿、国際社会と密接に結びついて動く古代列島社会の姿を浮き彫りにする。
_______________________________________
と記されている)とはまた別のところで、私に新たな視点と励みを与えてくれた。猛暑のなかの読書で予想外の情報を得て、久しぶりに相模国司について、思いを巡らせることができたのが嬉しい。
23日の日曜日は「処暑」。この日を、すがるような気持ちで迎えた。
そして確かにこの日、海辺の町へと吹き込む風に、かすかな冷気が含まれるようになった。
生温かな風に混じりこんでいる冷気を探し当てる…それは、かすかなのに、確実に冷ややかだ。
それにしても、これはいったい、どこで生まれた冷気が運ばれてくるのだろう…と思う。遠くの海上では、台風が生まれているはずなのに。
次の”二十四節季”は「白露」なのだという。
育ってきた国の漢字の言葉、漢字の文化の滴りにすがる2020年夏。
8月24日の海:ここならマスクが外せるね…波がつぶやく(そう聞こえたことにする)。
8月24日の空:やや、黒ずんだ雲が広がる。帰り道ではパラパラと雨粒が落ちた。
波打ち際に残る”お絵かき”:波を背にして描かれていた。かわいい。
浜辺の砂玉と小石:この先で、きれいな黄緑色の小石も見つけた。
日中はエアコンをつけずに暮らす2020年夏。
頭が茹で上がった状態で、友人とメールでやり取りする。「熱中症が心配。昼間もエアコンつけたほうが…」と諭される。
『確かに…』と思う。
まともな暮らし方ではないのかも…。
最近では節電要請も出なくなっているのだし…。
それでも、一日中家にいながら、エアコンの快適さに浸ることが疚しい。
つい、『このまま我慢しよう…』と、無意味な”修行”を続けている。
こうして、毎日、身体や頭が茹で上がり続けていると、心も陽炎のように揺らめき始める。
扇風機と南風の熱風が渦巻く床で寝ころび、遠い昔のあれやこれやをぼんやりと、脈絡なく思い浮かべる。
時には、ムックリと起き上がり、記憶の不確かな形をネット上でなぞったりする。
そんな遠い昔の思い出の一つが、♫ Fascination ♫ という曲のオルゴールだった。
(1984年4月、カプリ島でそのオルゴールを買った。お店のオルゴールをいくつか手に取って曲を聴いた。そのなかで、一番耳に懐かしかったのが ♫ Fascination ♫ のオルゴールだった。お店の若い女性の溌溂とした明るさにも心惹かれた。帰ってから、そのオルゴールのネジを巻き、♫ Fascination ♫ の響きが繰り返されると、忘れていた思い出が輝いて甦った。)
久しぶりにそのオルゴールを聴いてみた。
♫ Fascination ♫ という曲について、ネットで調べてみる。
♫ Fascination ♫ は、映画『昼下がりの情事』の中で流れる曲で、「魅惑のワルツ」と呼ばれるものだった。
ジェーン・モーガンという歌手が歌う動画を見つけ、何度も繰り返し聴く。
https://www.youtube.com/watch?v=kX-NN443ODk&list=FLfQ-6SOemR-qYp556uVSgfQ&index=87
懐かしい時間が緩やかに流れる。
その2分23秒の時間に、2020年夏の猛暑やコロナ禍が入り込む隙間はなかった。
その旋律の流れに乗って、遠い場所へと運ばれる。
そこは懐かしく、輝く場所。
私の残りの人生の時間のなかには見つけられそうもない場所。
亡くなった母も、こんなふうに、古いオルゴールの蓋を開け、自身の懐かしい場所を確かめるように、晩年の内面の時間を生きていたのかもしれない…そんなことも思った。
♫Fascination♫ のオルゴール:
遠くの国からはるばると持ち帰ったつもりだったけれど、中のオルゴールは日本製だった。また、底に貼られたラベルの曲名は「Fastination」の綴りだった。そんなことも、懐かしい思い出なのだった。