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私の第三十四夜をつづります。

3月末の葛城古道そして室生古道。

ベランダのスミレの花を見て、今春3月末に葛城山東麓の道、そして室生の古道を少しだけ歩いたことを思い出した。 短い旅だった(桜の開花には1週間ほど早過ぎて、梅の花が美しかった)。帰宅後、その旅の写真をまとめることなく、1か月近く経ってしまった。 …

薔薇が咲いた!

4月20日…初夏を思わせる陽気だった。 人魚姫の公園でまっさき?に咲いた薔薇の名は「クリムゾン グローリー」。 人魚姫の公園では、晩秋にしおれて生気を失ったあと、薔薇たちはずっと眠ったままだった。 刈り込まれてからずっと、春になるまで静かに休むし…

千手観音立像の面差し。

19日朝、大磯に出かけた。 まず、高来神社にお参りする(お正月に初詣した時の記憶もすでに朧げになっている。社殿の外にはお神輿が出され、新緑の境内では、湘南平をめざす?グループが準備運動にいそしんでいた)。 参道の桜吹雪を踏みながら、慶覚院の仁…

「ひらつかの春のはまべに降る光 なみまがしわにながらみに」

4月初旬、家族に誘われて海に出かけた。 いつもは小暗い印象の松林が、木洩れ日で明るくなっている。松葉の枯れ葉を踏みながら、公園のなかの道をゆっくり歩く。アマドコロ、シャガ、サツキ、ハナズオウ、ニチニチソウ…緑と茶色の林に彩りがもどってきていた…

『小説家の休暇』の断片。

暇にまかせ、ぐるぐる思いめぐらすなかで……現在の自分という存在を形づくる意識というものは、結局は若い頃のそれと切れ目なくつながっているのだな……と思い至った(しごく当たり前なことなのだけれど)。 で、先日、歌舞伎座に出かけたことも、やはり過去に…

『神田祭』の鳶頭に涙する夜。

9日夕方、有楽町駅に着く。駅前の桜は、ずっと吹き荒れていた風雨にも耐えて、ほんのり明るく咲いていた。 前回『桜姫東文章』を見てから4年ぶりの歌舞伎座だった。「四月大歌舞伎」の絵看板を眺めたあと、天井に間近い3階席にたどり着く。今夜、再び仁左衛…

道路状遺構の剥ぎ取り資料を見て。

6日、平塚市博物館に出かけた。 開催中の春期特別展「ひらつかの古道を行く」の関連行事として、考古学の講座を聴いた。できる限り、こうして特別展を見学したり、講座・講演を聴いてみたりするけれど、分からないこと、知りたいことがふえてゆくばかりだ(…

六ノ域遺跡第20地点とは?

17日、「第46回 神奈川県遺跡調査・研究発表会」に出かけ、県内各地の新しい調査結果を聴くことができた(コロナ禍を経て、県考古学会の活動に久しぶりに参加できたことが嬉しかった)。 なかでも平塚市・六ノ域遺跡第20地点について、2年前の現地見学会以来…

冷たい雨が降りやんだら。

お彼岸を過ぎれば桜も咲きはじめ…とはならず、冷たい雨の日が続いている。 17日、横浜に出かけたついでに県立図書館で本を借り、桜木町駅に向かう途中でよそ見をして段差に躓いた。『アッ…ここで転びたくない…何とか姿勢を戻さなくては…』と、前に倒れてゆく…

何年ぶりか…横浜市歴史博物館へ。

2日、横浜市歴史博物館で開かれている「文化財展」に出かけた。1月17日に「横浜のみほとけを語る」を聴いてから季節は進んだはずなのに、横浜の風は冷たく、博物館前の街路樹も寒々としていた。 何年ぶりだろう…久しぶりの横浜市歴史博物館だった。展示室…

メモ(5):「田」墨書土器とは?

2月がまたたく間に過ぎてしまった。「田」墨書土器とは?…何のために誰が?…とウロウロしながら。 そのウロウロのなかで、土器などに墨書する行為が、仮に畿内から地方に伝わったものであるならば、「田」墨書土器についても、畿内及び畿内以東の遺跡からの…

まぶしい海。

26日、待ち望んでいた明るい光に誘われて海に向かった。 海までの真っすぐな通りを、ゆっくりと陽なたを選んで歩いた。朝晩の冷え込みを忘れてしまって、思わず『春だなぁ…』とうっとりする。 浜に着く。キラキラ輝く平らかな海の彼方から、白波が次々と押し…

ひさかたぶりの『第三の男』。

2月は家族の白内障の手術があり、いつもより緊張する時間を過ごすことになった。 通院の付き添いで横浜に通う日々。その合い間の24日、平塚市図書館で上映された『第三の男』を観た。 子どもの頃に「テレビ名画座」で初めて『第三の男』を観て、ラストシーン…

メモ(4):茅ケ崎市「北B遺跡」の墨書土器から。

10日、横浜に出かけた。その空き時間に県立図書館に立ち寄り、『香川・下寺尾遺跡群発掘調査報告書』(香川・下寺尾遺跡群発掘調査 2005年)を閲覧した。 高座郡家の祭祀場とされる「北B遺跡」の墨書土器の中に、「大住郡」あるいは「壬生」氏(高座郡・大…

現実からの逃走。

あってはならない画像をネット上で眼にして衝撃を受け、その画像を閉じてしまった。イスラエル~ガザに関連した非日常的な画像の流れに混じっていたそれは、絶対にあってはならない場面だった。状況は何も分からない。ガザではないのかもしれない。また、フ…

メモ(3):「春」墨書土器のまとめ。

真田・北金目遺跡群の「高大長」須恵器墨書土器について、高座郡大領が係わる可能性を思いついてメモ書きしたあと、『当時の高座郡大領が、郡領域を越えて、わざわざ大住郡…余綾郡の可能性も?…での祭祀に係る可能性はあるだろうか?』と自問した(やはり、…

メモ(2):真田・北金目遺跡群と構之内遺跡の皇朝十二銭出土。

【個人的map:真田・北金目遺跡群】 <註>4区「高大長」墨書土器は、4区の西側に隣接する1区の出土資料と接合したもの。上図では”4区出土資料”として記載した。 【個人的map:構之内遺跡】 今回、皇朝十二銭の出土にまつわる私の妄想は、高座郡家を経て真田…

メモ(1):「皇朝十二銭」の出土年代。

今回、次の表をまとめた際に、高座郡家・七堂伽藍跡と平塚市内での皇朝十二銭の出土の背景に、当該地域(高座郡や大住郡)の大領クラスの人々の活動があるのでは?と想像した。 【個人的table]:平塚市および茅ヶ崎市(「高座郡家」周辺)から出土した皇朝十…

「高座郡家~七堂伽藍跡」の【個人的map】を作りながら。

今回、「小出川河川改修事業関連遺跡群」の成果についても、改めて見直すことになった。小出川の川沿い(七堂伽藍跡の西側~JR相模線線路沿い)は、高台上の高座郡庁周辺域とは様相を異にして、掘立柱建物や竪穴建物などの遺構が高い密度で分布し、旧河道も…

「高座郡家」は現在進行形。

20日、横浜で考古学講座「近年の調査からみる高座郡家の様相」(加藤大二郎氏)を聴いた。2時間の講座は、最前線の調査成果に加えて講師の新鮮な見解も盛り込まれ、とても楽しいものだった。それらの多様な情報と見解に一気に触れたことで、錆びついて止まっ…

仏像の”持続可能性”を学ぶ。

17日、横浜市指定・登録文化財展のトークイベント(山本勉氏×「みほとけ」さん)に参加した。 主催者は能登地震に言及される中で、その文化財の被災についても懸念を示された。(冬の陽射しが明るく射し込むアトリウムの時空間の彼方に、能登の現在があるの…

「かながわの遺跡展」で。

13日、2022年夏に開館した茅ケ崎市博物館を初めて訪ねた。『華ひらく律令の世界』(令和5年度 かながわの遺跡展)の展示を見学し、その足で市役所に向かい、井上和人氏による『なぜ「律令国家」なのか』の講演を聴いた。 茅ケ崎駅と、博物館が所在する堤坂下…

2018年12月の旅から。

2024年1月5日の樹々(文化公園で) 2024年…本当に大変な年明けとなった。 2011年3月11日、博物館近くの交差点で、足元が大きく揺れ動き、空の電線が大きく波打つのを見て、この世界が一変したように感じた。” ゆぁーん ゆょーん ゆやゆよん ”……そんな(空中…

元旦の海。

2024年になった。朝方、夢うつつとなって寝坊をした。外界では、すでに新年の日常が始まっていた。 急いで、干支飾りをウサギから龍に置き換える。(友人の手作りの人形に、それぞれ『一年ありがとう…これから一年よろしく…』とあいさつした。) 午後、南向…

海へ。

ずいぶんと海を見ていなかった。28日、次兄の家に花などを届けに行った帰り、浜辺に寄ってみようと思った。 浜辺では、運動部の合宿だろうか、群馬県の高校生たちが走り込んでいた。空は気持ち良く広がっているのに、大島や富士山は影も形も無かった。 『………

2023年12月の彩り。

2023年は夏の猛暑、秋の高温が続き、季節の移り変わりをすんなり受けとめきれないまま、12月を迎えた。 急に、12月になってしまった気がした…本当に、これからお正月がやってくるのだろうか?…と。 それでも少しずつ、冬らしい冷え込みが続くようになった。 …

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231122):大和川右岸から左岸、そして再び右岸へ(2)

今回の旅の地図(再掲):下記の記事に関連する地点は図中の①・⑥~⑩ 今回の旅で一番の収穫は、柏原市歴史資料館(⇒上掲の地図の①)でいただいたご教示だった(忘れないよう、ここに書き留めておきたい)。________________________…

佛法紹隆寺(諏訪市)を訪ねる。

年末を前に、友人たちと蓼科・親湯温泉に集まることになった。17日未明、平塚駅始発の電車で茅野駅へと向かった…私の場合、松本方面はいつも各駅停車で4時間半以上の旅になる…。 11月の一人旅に続く電車の長旅は、車窓から沿線の山景色などを眺めて過ごした…

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231122):大和川右岸から左岸、そして再び右岸へ(1)

今回の旅の最後の日。21日はほとんど空身で歩くことができたけれどど、22日はヤドカリのようにリュックを背負って宿を出る(20・21日と、朝から夕方まで歩き続けたため、足の親指に靴擦れができていた。それでも、あと一日くらいは何とか歩けそうだった)。 …

2023年12月13日…明日から何かが変わる?

13日、受診する家族とともに横浜の眼科…私が昔、白内障手術を受けた眼科…に出かけた。 一日がかりの待ち時間は、溜まっていた新聞を読むことに使った(リュックは新聞で膨れあがった)。12月に入って朝刊の1面は連日、「安倍派」「裏金」の記事で埋めつくさ…