enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

歌人相模、そして伊豆山~箱根山

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231122):大和川右岸から左岸、そして再び右岸へ(1)

今回の旅の最後の日。21日はほとんど空身で歩くことができたけれどど、22日はヤドカリのようにリュックを背負って宿を出る(20・21日と、朝から夕方まで歩き続けたため、足の親指に靴擦れができていた。それでも、あと一日くらいは何とか歩けそうだった)。 …

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231121):”南海道”の「河内六寺」を訪ねて(2)

今回の旅は事前の勉強が足りなかった。 それでも、何はともあれ「柏原市立歴史資料館」に行きさえすれば、きっと「龍田道」について詳しく知ることができると信じて出発した(帰宅後、柏原市立歴史資料館 館長が執筆されたweb上のコラムをきちんと読みこなし…

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231121):”南海道”の「河内六寺」を訪ねて(1)

旅の二日目は6時に起床。いよいよ今日こそ、旅の主目的…歌人相模の初瀬参詣ルートを探すこと…を果たさねばと気負い立ち、7時45分に宿を出る。王寺駅に向かう朝の通りはかなり冷え込んでいた。 この日(21日)の行程は次の通り。(下掲の”個人的map”:①~⑨ の…

いつまでも土屋の里で。

8日朝、雨の中を駅からバスに乗り、土屋に向かった。(待ちに待った日…”土屋三郎宗遠公”にいよいよお目にかかれる日…あれやこれやと思い描き、熟睡できないまま朝を迎えたのだった。) 大勢の学生さんたちを載せた”満員バス”は、渋滞した街なかを走るのに30…

追記:「石田のわせ」を詠んだ「真観」(藤原光俊)

2016年3月2日の『enonaiehon』(「まきおきし 石田のわせの たねならば…」の歌 - enonaiehon (hatenadiary.jp) )で、「真観」なる人の次の歌を示し、その歌人について、二人の可能性(①藤原光俊 あるいは ②真観)を考えていた。 ~『題林愚抄』第六 夏部中…

歌人相模と「石田(いした)」:長雨と夫の不在感

___________________________________ 軒の玉水かず知らぬまでつれづれなるに、「いみじきわざかな 石田(いした)のかたにもすべきわざのあるに」とおのが心々に、しづのをの言ふかひなき声にあつかふも耳とまりて 78 …

『相模集』の「石田」を探す

今回の一人旅には、長年疑問としてきた、『相模集』の「石田」の候補地を探す目的もあった。___________________________________ 軒の玉水かず知らぬまでつれづれなるに、「いみじきわざかな 石田(いした)のかたにも …

歌人相模の初瀬参詣:淀川②「美豆の御牧」と「淀津」の推定地を訪ねる

一人旅の二日目、重いリュックから解放され、元気よく「淀駅」に向かった。「美豆の御牧(みづのみまき)」推定地に近い「淀駅」前には、偶然なのだろうか、京都競馬場が立地していた。(歌人相模がこの21世紀の「淀駅」に降り立ったなら、周辺の風景から不…

歌人相模の初瀬参詣:淀川①「大川」を訪ねる

11世紀の歌人相模の初瀬参詣ルートを探る旅は果てしない…一を知ると十の疑問が生まれてくる…。歌人相模が詠んだ初瀬参詣7首から、そのルートをあれこれ想定してきたが、彼女がとった道筋はかなり独自なもののようだ。そして、これまで想定してきたルートに…

メモ:「菅野名明」・「依智秦永時」について

10世紀の伊豆山において、承平7年(937)に法華堂を造立した「菅野名明」、安和2年(969)に常行堂・僧坊・西軒廊を造立して金身仏菩薩7躯を安置した「依智秦永時」について、遅ればせながら図書館で『国司補任』(続群書類従完成会 1990年)・『新国史大年…

10世紀前半の伊豆山の「菅野名明」

先日、熱海に出かけたあと、長い間読むことのなかった1枚の資料を見つけた。 タイトルは「称名寺聖教 三七五函一〇号 走湯権現當峯遍路本縁起集幷三嶋戸隠少在之」。金沢文庫特別展「顕われた神々」の講演会(「伊豆・箱根・富士をめぐる”かたり”の世界」 西…

起雲閣で”富士山~箱根山~日金山・伊豆山”を眺め直す

24日、久しぶりに熱海に出かけた。(4年前に初島を訪ねて以来の熱海駅は、驚くほどの人出だった。坂道を歩く人々の波にも、コロナ禍の長い鬱屈をはらいのけるような明るさがあった。) 人々の賑やかな流れの中を縫って「起雲閣」をめざす。その日の起雲閣で…

『閑谷集』と12c後半の伊豆山、そして『走湯山縁起』と10cの伊豆山

修善寺の旅の最後はみぞれ模様の寒い日となった。おかげで修禅寺の宝物館をゆっくり見学することができた。 写真で展示されている大日如来坐像(実慶作)を見て「かんなみ仏の里美術館」の仄暗い展示室を思い出したり、北条政子の直筆とされる奥書を眺めて、…

立春の妄想:古今和歌集~在原業平~藤原高子~善祐~走湯山

立春というのに光薄い空。 この日が来ると、古今和歌集の巻頭歌を思い起こすことがある。 今朝も、その在原元方の歌… 「年の内に 春は来にけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ」 …を思い出すなかで、同じ古今和歌集の藤原高子(二条后)の歌(巻…

伊豆山神社男神立像の爪先のこと…再び懲りない妄想。

2020年暮れ…ずいぶんと久しぶりに、妄想の扉が開いた。 その扉は、次のデジタル記事がきっかけで開いた。 上掲の記事の写真を拡大すると、横たわる雷神像(写真の風神・雷神像は、山形県大江町の雷神社から町に寄贈されたものという)の爪先が眼に飛び込んで…

「かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」②

【248・349・453の3首】* 『相模集全釈』(風間書房 1991)から_____________________ ~中夏~248 したにのみ くゆる我が身は かやり火の 煙ばかりを こととやは見し (悶々とするばかりで、心がふさいで晴れない我が身は、蚊遣火の…

「かやり火も ふせげと思ふを こぞの夏 煙のなかに たちぞさりにし」①

コロナ禍と長雨が続く徒然なる日々。 遠のいていた歌人相模の世界をふと思い出し、本当に久しぶりに『相模集』を開いた。この数日のじっとりと湿った気分が、一千年前に”朽たし果てつる”と歌った歌人相模の言葉と、ぴったり重なるように感じたからだった。 …

「昔も月は 見しものを」

『定家八代抄』で、歌人相模の歌は15首採られている。 その15首目の歌。 _______________________________________ 巻第十七 雑歌中 題しらず 1601 眺めつつ 昔も月は 見しものを かくやは袖の ひまなかるべき 『千…

藤原定家と『相模集』

2013年頃だったろうか、初めて手にした『相模集全釈』(風間書房 1991年)。この本を読めば、もっと歌人相模のことが分かるはず…冒頭に掲げられた序文を、ドキドキしながら読み始めたことを思い出す。 その序文にまず、心を動かされた。刊行をなしとげた研究…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑨~最後に花園左大臣家小大進の歌~

おさらいしつつ、ようやく最後のまとめにたどりつく。 まず、今回の旅を経た現時点での妄想のまとめは、次の通り、だ。 *歌人相模が初瀬参詣の往路で「竜田道」を通ったとするならば、地すべりの危険のある大和川沿いのルートではなく、雁多尾畑~三室山を…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑧

今回の路程のなかでの最高地点”伝 龍田本宮御座峰”(約285m)から、「留所の山」の脇を東に下り、「三室山」へ向かう。 (ちなみに、斑鳩町龍田の西を南流する現・竜田川のほとり…大和川との合流点近く…にも三室山〔82m〕があるという。ただ、私は、高向草…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑦

道標が立つ横尾付近の分かれ道で、青谷へと下る右(南)側の道を選んだ。 金山媛神社に立ち寄って、雁多尾畑の集落へ行き着く道だ。集落へは、やや迂回する道になるのかどうか、左(北)側の道も歩くことで比較できるようになると思う(『また、この地を訪ね…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑥ ~高向草春の歌~

おさらいばかりで、なかなか写真のまとめが進まない。 (グダグダ・アレコレ悩み迷うことを整理し、文章化する能力があれば良いのだけれど…。) 気を取り直し、まず、「竜田道」で経由する可能性のある地点(ポイント)について、次のa・b・c・d・e・f を選…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑤

「竜田道」について、『日本歴史地名辞典 大阪府Ⅱ』(平凡社 1986年)には、次のような記述がある。 _________________________________________ 「…(前略)…大和の竜田本宮(現 奈良県三郷町の竜田大社)から西の…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道④

”歌人相模が神無月に「竜田越え」をしたとすれば、なぜその紅葉の歌を詠み残さなかったのか?” 前回、この点について、『歌人相模は、敢えて”歌枕”とは無縁の、人知れぬ山里で詠んだ歌を残そうとしたのではないか』…そのような想像を書いた。 その後、この疑…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道③

今回歩いた道筋は、二つの案内図をもとに選んだものだ。 準備段階では『近鉄 てくてくまっぷ 大阪-16』と、『かしわらガイドマップ①雁多尾畑の里と竜田古道コース』。そして、探索の途中からは『うぉーきんぐmap 龍田古道』に頼って歩いた。 《主な通過地…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道②

歌に名高い「龍田川」…子どもの頃、「アラ・タッタ」と覚えた”百人一首”の歌が、能因が詠んだことを改めて知ったのは、歌人相模のあれこれを調べ始めてからだった。 (その能因も長寺谷詣でに際し、歌人相模と同じように「伏見の里」を経由しているが、果た…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道①

”歌人相模の初瀬参詣ルート”を探しはじめてから、4年の月日が流れた。 2015年7月17日の『歌人相模の初瀬参詣ルート(2)』では、次のように書き始めている。 ≪歌人相模 ~ 初瀬参詣の連作7首(104~110)≫ ________________________ …

歌人相模が「竹淵」を目指した道(3)

≪想定外の道筋として歩いた「竹内峠」②≫ 今回、竹内峠・穴虫峠を越える道筋について、ほとんど下調べをしないまま出かけてしまった。 歌人相模の初瀬参詣ルートの想定から外れた道筋…という思いもあった。また、歌人相模とともに初瀬参詣の旅空を見上げるこ…

歌人相模が「竹淵」を目指した道(2)

≪想定外の道筋として歩いた「竹内峠」①≫ 今から約一千年前…おそらく万寿4年(1027)年頃…歌人相模は「神な月」に初瀬参詣を思い立った。そして、その旅のなかで次のような7首の歌を詠んだ。 ________________________________…