enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2013.11.24

 11月24日…日付けも季節も私から遠いところで進んでしまった。
 43年前の明日、三島由紀夫は死んだ。戦争の時代を経験しない私にとって、生涯消えることのない凶々しい光景も、すべて映像によってもたらされたものだ。車上のケネディ大統領が撃ち抜かれる光景、三島由紀夫の頭部が無造作に床に置かれている光景、そして2011年3月11日の津波が人々の人生を飲み込む光景。
(三つの光景はそれぞれ、政治、芸術至上主義、自然というベクトルの先に凶々しい極点があるのだということを、11歳・18歳・59歳の私の眼に焼き付けるものだった。)
 そして今、微細な体調の変化にとらわれているだけの平坦な日々の中で、自身の怯懦な本質が変わらないことを感じ続けている。60年以上の時間をふりかえれば、私は社会的に傍観者として過ごし、個人的な負荷もできるだけ回避したいと思って生きてきた。思えば、学生時代の私の漠然とした憧れを切り取った言葉は「高等遊民」だったのだ。その意味するところも掴まないままに、「高等遊民」という言葉の響きから喚起されるイメージに憧れていた。40年後、海に出かけ、浜辺をうろうろと歩く…何をして生きてゆくのか、あてどない私の今の姿だ。
 
11月23日の浜辺① 
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 バースデイケーキのような・・・。
 
11月23日の浜辺②
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 ヒトヨタケのような・・・。
 
11月23日の浜辺③
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それなりの距離・・・。