◆平安時代の軒丸瓦片を出土した「酒匂北中宿遺跡 第Ⅵ地点」の発表要旨を読み、奈良・平安、中世の調査成果で気になった点をまとめてみた。
【第Ⅵ地点】
:9世紀後半の竪穴住居址2軒、ほぼ同年代の掘立柱建物址11棟を検出
:ほぼ磁北をとる掘立柱建物址のなかに、「3間×4間程度の規模で布掘状」のものがある
:「出土瓦は、軒丸瓦の文様が六葉単弁連蓮華文であり南多摩窯址群G71号窯製品と推定され、丸瓦・平瓦の質感も同様であり、南多摩窯址群の瓦であると推定されるが、1点のみ三浦半島乗越瓦窯址産と判断される平瓦が含まれている」
◆同様に、過去の第Ⅰ地点の調査で注目される成果は次の通りだ。
(〔註〕以下の「 」は、『平成18年 小田原市遺跡調査発表会 発表要旨』紙上発表「酒匂北中宿遺跡 第Ⅰ地点」から引用)
【第Ⅰ地点】
:「9世紀後半には埋没したと考えられる」第1面で、18号遺構(調査区南半で東西に広がる硬化面)、5号溝状遺構(長さ8m以上、18号遺構を北西-南東方向に横切る)を検出
:5号溝状遺構は「幅1.4m、深さ1.0mの方形を呈する溝であり、8世紀代の遺物を中心とするが、9世紀後半の灰釉陶器が含まれているため、9世紀後半に埋没した遺構であろうと推察される」
:「酒匂は古代以来の交通の要衝であり、18号遺構とした硬化面の存在から、5号遺構を側溝とする道路状遺構としての位置付けも考え得る」
◆以上の「酒匂北中宿遺跡」第Ⅵ地点・第Ⅰ地点の成果は確定的なものではないという制約はありながら、示唆的な内容を多く含んでいるように感じた。