enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.1.9

 唐突に、私は生まれ育った家…正確には、その家に似たような空間に居た。その家は、今はどうも長兄が母と一緒に住んでいるらしいと直感した。そして、私はずっと母に無性に会いたかったのだと分かって、心急いで母が居るらしい西側の部屋に向かった。(私が育った頃の家は、西側の古い平屋の空間と、建て増しした東の二階建ての空間とが、数メートルの細い廊下でつながっていた。)
はやる思いで廊下を渡り、西の空間の古びた引き戸をそっと開けると、そこにまさに老母の後ろ姿があった。体が一層小さくなって、パジャマのズボンが廊下に引きずるほどだぶついていた。瞬間、あぁ、お母さんがいる…という思いがあふれた。
母は、今、自分の部屋に帰ろうとしているところだったのだ。何とかそれでも自分の足で歩いて、障子を開け、部屋の中に入ってゆく。私はただ眼だけになって、その後ろ姿を追っている。母は私に気がつかない。母はおもむろに、弾みをつけるような感じで、自分のベッドの上にあがることができたようだった。
あぁ、お母さんはこんなふうになっても、ちゃんと自分で工夫してきちんと生きている…それが嬉しくて、何ともありがたい気持ちがこみあげた。そこで、はっと我に返った。きっと夢だ。意識が次第に戻ってくる。私はいつものように朝方の浅い眠りのなかにいるのだ。
母に会えるわけがなかった。それでも、浅い夢のなかで思いがけず、会いたかった母の後ろ姿を確かめることができた。母がそこにいて、それだけで満足した。母を思いだして泣くのも久しぶりのことだった。
そして、今見たばかりの夢を思い返しながら、不思議な気持ちになった。後ろ姿の母が戻っていった部屋は、私が子ども時代を過ごした部屋だったから。その古い家は私が家を出たあとには建て替えられ、母が晩年暮らしていた家ではなかった。
夢の中の晩年の母が、子どもの私が暮らしていた狭く古びた部屋にいたのはなぜだろう。そういえば、夢の中で私は母の顔をはっきり確かめることはできなかったし、母が上がったベッドは、子どもの私のベッドの位置と同じだった。確かなのは、私のその部屋も、晩年の母も、今はもうどこにも存在しないということ。たった一人の私の意識の中にしか顕われないものだった。