enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.12.7

 5日は渋谷で『仮面舞踏会』、6日は葛飾で『第九』を聴いた。行動半径12㎞の日々のなか、ほとんど音楽を聴くことが無くなった私にとって、まさに非日常の二日間。どこか通過儀礼のようになってしまった12月も、音楽の力を借りれば、心はずむ季節に変じて見えるものだ。
『仮面舞踏会』を聴いたのは、同じ渋谷で1998年8月、初台で20015月と、すでに遠い昔のことになっていた。もともと慣れない渋谷駅も、その後、さらにややこしい変化を遂げているらしかった(変化への不安が強くなっていることも情けない…)。
その渋谷駅で、地下の巣穴から這い上がるように、心もとなく歩きはじめる。それでも、『…8番出口がハチ公前広場…』などと、案内板を頼りに、無事にコンサートホールにたどり着くことができた。「ドゥ・マゴ」という店の名も昔のままに眼に入った。一安心だ(それが情けない)。
『仮面舞踏会』は、市原多朗さんのリッカルドを聴いたのを最後に、家では時々ベルゴンツィのリッカルドを聴いたりしていた時期もあった。今日はどんなリッカルドなのだろう。きっとまた、市原さんの歌と比べてしまうのだろう…。コンサートホールの3階の片隅で、固唾を呑んで開演を待つ。
私は音楽を聴いてよく泣いた。オペラのソプラノの役どころに引き込まれての涙も多かった。29日は、バリトンのレナートの独白…若く清らかだった妻への思い…にほだされて、つい涙した(私には、若かったアメーリアの清らかさが、ハープの旋律によって、湧き出でる谷水のような響きとして伝わってきた。それは、夫としてのレナートの葛藤を細やかに裏打ちするように聴こえたのだ)。
私の隣には10代の少年が一人で熱心に舞台に聴き入っていたけれど、もちろん泣く風には見えなかった。清らかだった妻の心を奪われたレナートの愛と哀しみは、きっと10代の少年の心にすんなり浸み入るには、泥臭く、人間的に過ぎるのだろう。
そしてまた、29日の舞台の展開はと言えば、幼な顔の少年のような年代の観客にふさわしく、若々しさとスピード感に満ちた、メリハリの利いたものだった。渋谷という若い街にどこかでつながっているような生命感があったように思う。
数時間を非日常の空間で過ごして、青昏くなった空のもと、人工光のまばゆい街に出る。一瞬だけ、私は自分の年齢をザッと数十年ほどさかのぼっているように感じた。再び、場違いな都会の雑踏を歩き始める。そうか、浦島太郎のようだ…そう思った。

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17年前のプログラム:サインの入った特別なプログラムのことをすっかり忘れていた。私には「舞踏会の手帖」はないけれど、『仮面舞踏会』のプログラムは古い手帖のように、私の昔の時間を残してくれていた。