13日の茅ケ崎市遺跡調査発表会では、西方遺跡第1次調査で出土した遺物も見学した。
1区の1号溝状遺構出土の鉄釘はしっかりと形を保っている。
墨書土器については、破片のために形状が分からず、また文字の判読も明らかでないようだった。素人の私は短絡的に、墨書土器は9世紀代?と想像してしまう。早いものとしても、平塚市内出土の墨書土器の年代を参考にすれば、8世紀前半を遡らないかもしれない、と思う。いや、やはり9世紀代に入る可能性も無いとは言えない…などと、勝手に期待をもつ。予断と妄想に満ちた見学者は、遺構外でも良いから緑釉陶器の破片などが出土していたなら…と、つい思いめぐらしてしまう。
出土遺物①
出土遺物②