~『流布本相模集』より~
軒の玉水知らぬまで つれづれなるに、「いみじきわざかな、石田(いしだ)のかたにも すべきわざのあるに」と おのが心々に、しづのを言ふかひなき声にあつかふも耳とまりて、
78 雨により 石田のわせも 刈りほさで くたしはてつる ころの袖かな (『相模集全釈』)
2016年2月、奈良への旅の途中で滋賀県大津市の法明院を訪れることにした。そう思い立ったのは、「石田殿の立地について」(本中 真 1988年『造園雑誌』51(3))という研究論文を読んだことがきっかけだった。
その論文は、‟京都市伏見区石田ではない「石田(いしだ)」の地”を探していた私にとって貴重な情報に満ちていた。本中氏は論文のなかで、従来の「石田殿」比定地として4地点を提示され、それらの分析を経たうえで、最終的に「近江国園城寺近辺」(園城寺北郊)を「石田殿」比定地の最有力候補と結論されていた。そして「石田殿」という優れた眺望景観の別業の立地にふさわしい地点として、具体的に「法明院」を挙げられ、他の比定地を圧倒するというその眺望景観を紹介されていた。
【本中 真氏が提示された、従来の「石田殿」比定地4地点】
*山城国久世郡那羅郷石田
今回の旅の前にこの論考を読んだ私は、11世紀の「石田殿」が大津市の法明院近くに立地していたのであれば、その一帯は『相模集』78の「石田(いしだ)」の候補地となりうるのでは?と期待をふくらませた。そして今回の旅のなかで、大津市の法明院にどうしても立ち寄ってみたいと思ったのだ。これまで、「石田殿」についても、その別荘を構えた近江守藤原泰憲についても、ましてや園城寺北郊の法明院についても、全く何一つ知らなかったというのに。
2016年2月現在の法明院庭園から望む大津市街地と琵琶湖…この切り立った崖上(手前)に池が造られている。庭園の奥へとおずおずと進むなか、突然目の前に池が出現した。魔法で宙水が地上に現われでてきたような美しい水面に驚かされた。