enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

緑釉陶器の花文①

 2015年夏、博物館で「みどり色の器展」を見学したその時、まだ報告されていない新しい資料も何点か展示されていた。繊細で珍しい文様をもつもの、輝くほどに美しい「みどり色」のものがあって、なぜか胸が騒いだ。
 さまざまな考古基礎資料集成の一環として、市内出土の緑釉陶器の集成が編まれ始めたた頃からからすでに20年近くが経過した。同じ頃に平塚市で考古学の勉強を始めた私にとって、まさに宝のような集成だが、その後の調査で新たに出土した緑釉陶器の資料については、報告書の刊行を待って、自分で情報を更新してゆくほかない。「みどり色の器展」で思わず胸が騒いだのも、きっと新しい情報に飢えて(?)いたからなのだ。
 
 先日、図書館で『平塚市試掘・確認調査報告書2』(平塚市教育委員会 2016年)を眺めていて、そうした新しい緑釉陶器資料の実測図が眼に入った。昨夏に展示されていた新資料の一つだった。
 その六ノ域遺跡出土の新資料の花文に似た文様は、市内出土の緑釉陶器集成で見かけたものだった。もし、緑釉陶器の文様構成が生産地や生産年代に係わるのであれば、相模国府域内・外でそうした緑釉陶器を出土する遺跡の機能、その遺跡間のつながり、さらには国司・郡司の活動のあり方を考えるよすがになるかもしれないと思った。
 急に、花文を視点にして緑釉陶器というものをもう一度見直してみようと思い立った。ただ、素人の私が持つ緑釉陶器の教科書は、使い古した『平塚市内出土の緑釉陶器』(平塚市博物館市史編さん担当 2001年)と、昨年入手した『愛知県猿投山西南古窯跡群 黒笹90号窯跡』(愛知県みよし市 2013年)だけだ。
 その黒笹90号窯跡の報告書には詳しい花文分類方法が載っている。この報告書を教科書にして、おぼつかない眼と頭で、市内出土の緑釉陶器の花文分類を試みてゆくしかない。きっと多くの勘違いから、誤った分類結果になるだろう…それはそれで、それだけのことだ。
 まず、集成資料(30遺跡・763点)で花文を持つ資料のなかから、文様構成が見て取れるもの(43点)を素人の目で選び出す。前途多難…今回は、多量の緑釉陶器を出土した湘南新道関連遺跡の報告書に手を出す余裕はなさそうだ。まずは、この市内出土の40点余をもとに、緑釉陶器の花文について試行錯誤の勉強を始めてみた。

新しい資料としての緑釉陶器稜埦(六ノ域遺跡:試掘№11‐38出土)
2015年8月「みどり色のうつわ」展で撮影。口縁部の半周ほどを補っている。
イメージ 1