enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016.12.12

 12月初旬。
 ”江分利満氏”のように現役ではなく、老尼のような暮らしとなった”江分利散泥”の私でも、やむを得ずあきらめる予定が出てしまう。一年最後の季節がみるみる走り去ってゆく。
 
 11日午後、休日の人出でにぎわう上野から、葛飾のコンサートホールに向かった。
 ビオラを演奏する友人から、「ちょっと珍しい選曲のコンサート」と聞いていた。
 日暮里駅で乗り換えにまごまごしてしまう。いつもは同行の友人がいたとはいえ、今回が初めてではないのだ。機械の前でまごまごするというのはいったい・・・。
 不振な挙動に駅の係りの方が声を掛けてくれる。若い人に丁寧に案内してもらって、ひたすら恐縮する私は、もうすっかり高齢者そのものだった。
 
 会場に着く。2階のホールの前は人であふれている。きっと定期的にこうしたコンサートを楽しんでいる人々なのだろうと思った。音楽は、魔法の時間と空間を生み出し、人々を日常世界から”優雅な世界”へと運んでしまう。願わくば、私も”江分利散泥の優雅な生活”を送りたい・・・。
(『江分利満氏の優雅な生活』・・・どのような内容だったのかは忘れてしまったけれど、「アンクルトリス」を描いた人の手になる”江分利満氏”のイメージ画が印象的だった。私の次兄の当時のあだ名が「アンクルトリス」。次兄は確かに鼻や頭の形がそっくりだったと思う)。
 
 指揮者は英国出身の方だった。プレ・トークとして、その日の曲目についての解説があった。通訳を介し、指揮者の日本に対する思いが良く伝わってきた。
 私にとって新鮮な曲目ばかりだったからなのか、アンコール曲を含めて、あっというまにコンサートは終了した。
 演奏を終えた友人のほっとした様子が、客席からも見て取れた。1曲目(交響曲「野人」)もコダーイの2曲目も初めての曲だった、と後で聞いた。
 ホールの建物を出て冷たい風に当たった時には、師走の季節のあわただしい気持ちが、静かな興奮に変わっていた。
 
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ホールで舞う人