そして、研究者の方々の知見に接することよって、自分の無知と勘違いに気づかされてきた。それでもなお、この「男神立像」に対する興味はいまだ尾を引き続けている。
その「男神立像」について、現時点で思い巡らしていることを書き留めておこうと思う。何かをきっかけに、その謎の一端がほどける時が来ることを期待しつつ。
当初、私は「男神立像」の足について、”3つの足爪”を持つ異形の表現なのだと思い込んだ。異形であることに、神像としての表現を妄想したのだ。
しかし、その後、「先端に盛上りを作り簡略に刻みを入れる大ぶりで力強い沓の表現も 手と同様に平安中期の様式を伝えるものと考えてよかろう」(鷲塚泰光 「伊豆山神社木造男神立像考」 : 『三浦古文化』 第30号 1981年)という論考によって、自分の無知(大いなる…)を知ることになったのだった。
そして、その「沓」と似通う他の作例を知りたいと思ってきた。なぜなら、同じような作例の制作年代が分かれば、伊豆山神社「男神立像」について研究者の方が新たに提示された制作年代…「平安時代(10世紀)」…を素直に(?)納得できるように感じたからだった。
そして、ようやく次のような作例を一つだけ、見つけることができた。
鞍馬寺「吉祥天立像」の履物
( 『週刊原寸大 日本の仏像 21』 〔講談社 2007年〕 に掲載された全身像の足元を切り取り加工したものです。)
ただ、この作例(鞍馬寺「吉祥天立像」)については、「像内納入品の年紀から、大治2年(1127)の作」(『週刊原寸大 日本の仏像 21』 〔講談社 2007年〕)とされ、10世紀の作例とはならなかった。
果たして、履物の表現の違いによって、制作年代をある程度類推できるものなのかどうか…。徒労に終わることを予感しつつ、今後も他の作例を探し、その制作年代を確かめることができればと思う。
補足:
中国(唐代)の官服について調べるなかで、「先端に盛上りを作り簡略に刻みを入れる大ぶりで力強い沓の表現」よりは、かなり複雑で装飾的なデザインの履物例がいくつかあった。