買い物帰り、信号を待っていて、ふと母のことを思い出した。
急に切なくなってしまって空を見上げると、暮れようとする空に一番星が光っていた。
横断歩道を渡りながら、遠い昔、母の機嫌をいたく損ねた出来事を思い出した。
それは、母が「三省堂」のことを「さんしょうどう」と呼ぶのを私が聞きとがめた時のことだった。
頑として「さんしょうどう」と主張する母。
「さんせいどう」っていう会社なのに…「さんしょうどう」なんて聞いたことない、とあらがう私。
結局、母の剣幕にたじろいで、その諍いは終わったのだと思う。
もしかして、母の時代には本当に「さんしょうどう」と呼んでいたのかもしれない…「山手線」だって「しょうせん」という母なのだ。母をあんなに怒らせるまで追いつめたことを後悔した。
今日、母とのそんな思い出が頭に浮かんだのは、政権を主導する老練の政治家たちが発した声の記憶…古くは「未曾有」、つい最近では「訂正云々」など…が点滅したからかもしれない。
思えば、私の身近な人々のなかでも、そうした読み間違いがあった。
レコード店で「廉価盤」と書かれたインデックスを「けんかばん」と読んだ人。その人は「大佛次郎記念館」で「だいふつじろう」と読んだ。私は聞かなかったことにして、その後、その人と結婚した。何でも言えるような間柄になってから、「れんかばん」、「おさらぎじろう」だった、と伝えた。
また、私が敬愛した先生は「脆弱」を「きじゃく」と口にすることがたびたびあった。気になったし、何よりも敬愛する先生であったので、「ぜいじゃく・・・」と口にしそうになった。でも、できなかった。
今、「けんかばん」も「だいふつじろう」も「きじゃく」も、なつかしい思い出にしか過ぎない。
それに、私にもそんな読み間違いがあるかもしれない。勘違いやうろ覚え、誤記・誤植はしょっちゅうのことなのだし。