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私の第三十四夜をつづります。

”探しもの”ではなく、忘れもの

 6日、横浜の博物館で十一面観音菩薩立像(西方寺:横浜市港北区新羽)を拝し、併せて「横浜の平安仏」という講座を聴いた。こいつは春から…の一日になるはずだった。
 
 2011年の大地震で破損し、新聞社の助成を得て保存・修理された十一面観音像(12世紀半ば、ヒノキ・割矧、像高106.3cm)は、展示室の入り口に立っていらっしゃった。
 その表情の素朴さ・優しさ。肌に滑らかにかかる薄い衣、その衣から浮き出る女性的な肉づき。さらには腕の短さ、掌と足の小ささに目を引かれる。そして、長浜の観音様たちに出会ったときと同じような気持ちになった。像のつつましい安らかな雰囲気が、見る人に伝わってくるのだと思う。
 その後、講座で十一面観音像を蔵する西方寺の歴史や、市内に残る平安仏のあり方を、さまざまな視点を通して教えていただく。
 十一面観音像の略歴や評価を聴くなかで、私にとって印象に残った言葉は、「醍醐寺座主」、「12世紀」、「鎌倉 極楽寺」などだった。12世紀の相模国の鎌倉に、この観音像はどのような経緯で祀られたのだろうか? そこに関心をもった。

 講座を聴き終え、もう一度展示室に寄りたいと思いながらも、帰りを急ぎ、館の外に出る。足早に駅に向かい、電車に乗る。一駅を過ぎて、読みかけの本…『属国民主主義論』という刺激的な対談集の続きを読みたかった…を取り出そうした。が、バッグの中をどう探しても本は無かった。『しまった…講堂に置き忘れた?』
 慌てて二駅目で電車を降り、博物館に電話を掛け、恐縮しつつ事情を話す。探してくださる間に、博物館にとってかえそうと、電車を乗り換えた。
 自分の不注意にうんざりしながら、焦る心が博物館へと飛んでゆく。しかし、戻る途中で受けた返事では、本は届いていないのだった。
 気落ちしながら館に着いた。係りの方に立ち会っていただだいて、すでに施錠されていた講堂に入る。確かに…座った椅子のシートは背に畳まれ、しかも下に何も落ちてはいなかった。
 『戻ったのに見つからなかった』…すごすごと帰る自分をイメージする。それでも、念のために座席の前に回ってみる。やはりここにも…しかし、そこに本はあったのだった。器用なことに、畳まれたシートと肘掛との間にぴったりと収まった形で。
 ほっとして、本を取り戻す。立ち会ってくださった方に本を見せ、お礼を繰り返した。そして展示室に寄った。
 観音様は変わらずに静かな姿で立っていらっしゃった。
 
 館の外に出ると、何事もなかったように、午後の光がきらきらしていた。今日、二度目の帰り道を今度はゆっくり駅に向かった。年明け早々の愚かしい自分のドタバタをかみしめながら。

 追記:帰宅後、西方寺の十一面観音像に似た像を長浜の観音様のなかで探してみた。像高約175cmとはるかに高く、シルエットもややほっそりしてはいるけれど、田中神社(長浜市湖北町)に伝わる平安末期の十一面観音立像に同じような雰囲気を感じた。いつか、拝することができると嬉しい。