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私の第三十四夜をつづります。

『銀河の夢』

 9日、初島を訪ねた帰り、熱海の梅園に寄った。伊豆山神社に何回か通いながら、来宮駅近くに梅園があることを知らなかった(と思っていた)。
 梅園はまさにその季節のさなか。
 午後の陽は、じきに山の陰に隠れそうな時間というのに、紅梅・白梅・蠟梅が連なる散策路には、多くの人々の姿があった。
 梅園の谷あいには”初川”という名の小さな川が走っていた。
 (初島・初木神社・初川と、その日、三つ目の”初”。)
 その初川沿いに、梅の花が香ってくるゆるやかな坂道をたどる。やがて、その奥まったところに、こじんまりと個性的な美術館が待ち受けていた。
 アプローチの先々に背の高いブロンズ像が現れる。
 誘われるようにして美術館の玄関前に行き着く…あっと思った。
 そこには、あの”人魚姫”が長い腕を広げて立っていたから。
 すっかり忘れていた。あの平塚駅南口の”人魚姫”の作者が澤田政廣と言う人であったことを。
(ネットでその作者の名前をつきとめた時、熱海に梅園があることも知ったのだったし、そこに美術館があることも知ったのだった。それなのに、そうしたこと全てを、”人魚姫”の像を眼の前にするまで思い出さなかった…。これは、『やれやれ…』ですむことなのか?)
 
 ともあれ、わくわくした気持ちで玄関扉を抜ける。
 その美術館は、外観だけではなく、その内部もやはり個人的で有機的な…何と言えば良いのか?…空間として構成されているようだった(もしくは、お伽話のなかの教会のようでもあり、架空の国に建てられた私的な仏堂でもあるような…)。
 そうした”普遍的ではない”空間には、自由で生き生きとした造形があふれるようだった。
 (東寺講堂の諸像が立体曼荼羅として構成されているのであるならば、この美術館の造形群も、作者の世界観を表出した立体曼荼羅になっているのかもしれない…そんなふうに感じた。)

 なかでも、『銀河の夢』は間近に見て、アプローチの造形群(”人魚姫”の像…『海の讃歌』などの)とは別立ての、作者の内向きのエネルギーを感じた。
 ブロンズ像と見紛うような圧倒的な量感。木彫仏のような優しさ・温かさ。
 ためつすがめつ見入ることを促す造形だった。このような木彫像はきっと生涯に一度のものなのだろうな…とも思った。
 
 初島の帰りに、梅園に、そしてこの美術館に立ち寄ったのは、めぐり合わせのようなものかもしれなかった。また訪ねることができるだろうか。できれば、糸魚川市に建つ「谷村美術館にも出かけてみたい…そう思う。

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      『黄泉のしこめ』(1956年)

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      『蒼穹』(1960年)

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      『海の讃歌』(1963年) ①

『海の讃歌』(1963年) ②
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      木彫用のクスノキ

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絵葉書の『銀河の夢』(1924年):
この『銀河の夢』や『海に立つおとたちばな姫』の造形は、日本の仏像・神像の造像に立ち向かったかのような作者の思い入れを強く感じた。
肌のなめらかさ、高く結い上げられた髪の鑿跡は平安時代の仏像にも通じる仕事のように思えた。
そして、眠りに入り込むような静かな表情は、見る人の心のつぶやきを受けとめるかのように感じられた。