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私の第三十四夜をつづります。

金泥経のような曼荼羅

 21日、上野に出かけた。葛井寺千手観音菩薩坐像を拝観するためだった。それなのに、途中の「修法の世界」の部屋に展示されていた”金剛界曼荼羅”に出会って、予想もしなかった衝撃を再び受けた。
 それは「子島曼荼羅」というものだった。つい先だって、東寺の胎蔵曼荼羅の精緻で華麗な世界に目を奪われたばかりだった。ただ、それはあくまでも、ビデオの世界のなかの感動にとどまっていた。
 しかし、今、目の前に広がっている曼荼羅は、金色に光り輝く図像が、暗い海底から浮かび上がって定着したように、生々しい立体感をもっていた。それは、信仰世界のなかの言葉や音が、描線という流れの中に表出されたような立体感、とでも言えばよいのだろうか(自分でも、余計、分からなくなっている)。
 そして、その細部の繊細な印象は、以前見たことがある長谷川潔の銅版画の技法を連想させた。また、金泥経の文字(抽象)世界が描線(絵画)世界に変じたもののようにも思えた。
 私が受けた衝撃は、この繊細で壮大な曼荼羅が、当時の人々がどれほどに真摯な、全身全霊的な追求の果てにたどり着いた世界であるのかを、ありありと感じさせてくれたからだ。その衝撃は、ビデオで東寺の曼荼羅の細部を眼にした時にも感じたものだ。
 21世紀の今、この曼荼羅に匹敵する世界はもう生まれないのでは?…衝撃を受けたあと、そんなことを思った。
 
仁和寺と御室のみほとけ」展で再現された仁和寺観音堂内部(中央左の一部)
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2月21日のカンザクラ(上野公園)
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