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私の第三十四夜をつづります。

戦前の百済観音像の写真

 24日午後、金沢文庫の講座を聴きに出かけた。肩の力が抜けるような春の陽気だった。駅から文庫に向かう坂道も親しいものになってきて嬉しかった。
 
 その日の講座は”堂内荘厳”というテーマだった。”荘厳”は”しょうごん”と読むのだ、ということ以外、何も知識はない。とにかく聴く…それだけに終わりそうな気がしていた。
 
 講座の前半が「仏堂荘厳の歴史」から「浄土の荘厳」という流れに移ろうとするなか、1枚の古いモノクロ画像が映し出された。具体的には、”法隆寺金堂の空間史”の場面から”伝橘夫人念持仏厨子”の場面へと移るなかで一瞬映し出された古い白黒写真だった。
 あっ、と思ったのは、その写真に”百済観音像”の姿があったからだった。
 講師の先生の説明では、戦前の金堂内で、”伝橘夫人念持仏厨子”の左側に”百済観音像”が安置されていた様子、ということだった。そのことは、仏堂の空間構成は変化する…ということを示すものであり、講座の主題の”仏堂荘厳”のあり方・歴史に係わってくる事例でもあったのだ(と思う)。
 一瞬の写真にあっと驚くほど、百済観音像は私にとって特別な存在の仏像だった。その戦前の貴重な写真を見ることができただけでも、講座を聴きに出かけた甲斐があった…そう思った。
 
 できることなら、その写真をもっと良く見たかったし、さらには戦前の法隆寺金堂の堂内空間で百済観音像を拝することができたなら…と思った。
 また、戦前の堂内空間で百済観音像を拝した人(例えば亀井勝一郎のような人)が、現代の大宝蔵院に安置されている百済観音像を眼にした時、どのような思いを抱くだろうか、とも思った。そして、戦前に戻ることが無理なら、百済観音像がパリから帰って上野で展示されたあの時のように、もう一度、”地球上に降り立った神”のような姿を見上げたい・・・夢のような望みではあるけれど、もう一度…と心に思い描いてしまうのだった。こうして、24日の講座は、まったく異なる世界を夢見る講座となった。

『大和古寺風物誌』(亀井勝一郎)から:
「…金堂の内も外もこの日は落着いてみえた。私は塔をみあげながら金堂の後を廻って、案内人に導かれつつ慎んで扉の内へ入ったのである。仄暗い堂内には諸々の仏像が佇立し、天蓋には無数の天人が奏楽し、周囲には剥脱した壁画があった。私はその一つ一つを丁寧にみようともせず、いきなり百済観音の前に立ったのである。橘夫人念持仏の厨子を中心にして、左側に百済観音、右側に天平聖観音が佇立していたが、それを比べるともなく比べて眺めながら、しかし結局私は百済観音ただ一躯に茫然としていたようである。…」

金沢文庫の梅(2月24日)イメージ 1