1970年11月25日、私は教室で授業を受けていた。
そして、その授業の合間に、異様なニュースが伝わったのだった。
三島由紀夫が市ヶ谷で自殺したらしいと。
その後、事件についてさまざまな報道があり、さまざまな人がそれぞれに言葉を発した。それらの政治的な、また文学的な解釈のどれもが、現実の事件をカバーするには至らなかったと思う。
そのなかで、時の総理大臣は「気が狂ったか…」というような即物的?な反応を示した。
また、TV画面に流れた市ヶ谷の自衛隊員の反応も、そのほとんどが怒号・野次に近いものだった。
あれから50年近い月日が流れた。時代の空気も、その空気を吸う人もすっかり入れ替わったはずだ。
昨日、自衛官が国会議員に政治的な暴言を繰り返した、という報道に接し、もやもやと考え続けた。そして、あの事件が起きた時代に私が感じていた空気感のようなものを思い出そうとした。
また、国会議員に対して「お前は国民の敵だ」と発言した自衛官にとって、”国民”とは、”敵”とは、果たしてどういうものなのだろう、と思う。
そして、時代が、社会が、もうすっかり変わってしまったこと…そのことが私たちの社会にこれから何を生じさせてゆくのか…その行く先を知るのが怖い…そんな気持ちがある。