かつて相模国府の歴史について発掘調査成果を中心に学んでいた頃、三浦半島については、古代の御浦郡家や付属寺院などに関心を持っていた。しかし12世紀以降の歴史となると、私のなかではまったく白紙のままだった。その後、身近な地域に残る仏像群のあり方に興味を持つようになってから、12~13世紀の歴史にも少しずつ眼が向きはじめた。
また、浄楽寺では、伊豆・願成就院の諸像と共通点をもつ諸像が堂々と居並ぶ姿を初めて拝した。
伊豆半島と三浦半島とが、鎌倉という地点、あるいは相模湾を介して連接している…そうしたイメージのなかで、運慶作とされる造形に間近に接し、一種不思議な感慨を持った。伊豆半島~鎌倉~三浦半島に足跡を残した運慶という存在の現実性、そして運慶に仏像制作を託した当地の人々の営為の現実性を感じたのだと思う。
そして浄楽寺や満願寺の巨大な仏像群を間近に見上げ、その共通する造形感覚に、仏師の若々しいエネルギーの漲り、自負の発露を強く感じた。
機会があれば、もう一度、あの玉羊羹(”ぷっちん羊羹”とも?)のようにはちきれそうなお顔、曼荼羅の仏様のように真ん丸のお顔を拝し、12世紀という時間のリアルさを確かめてみたいと思う。
浄楽寺
阿弥陀三尊像の説明板(浄楽寺)