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私の第三十四夜をつづります。

韮山へ(願成就院~反射炉)

 25日朝、家族に誘われて伊豆の国市に向かった。

 いつもの電車の窓枠の大きさに切り取られた景色とは違って、相模湾沿いを走る車から、青い海と箱根山が一つながりに見渡せた。
 途中、三島大吊橋の近くでは一瞬視界が開け、富士山が姿を現した(みなが「大きい…」と口をそろえた)。
 伊豆の国市に入れば、青々とした水田や狩野川葛城山~城山の特徴的な姿が目に飛び込んでくる(以前、城山に登った時に、なぜ、このように明るい土地が流刑地だったのか?と不思議に感じたことを思い出す)。 
 
 狩野川・古川と下田街道に挟まれ、さらに緑の光背のような守山に抱かれ、願成就院はこじんまりと建っていた。同じように緑の山を背にしていても、鎌倉の複雑な谷々に潜む寺に比べ、明るく開放的な立地だと思った(北条氏政の氏寺という、そもそもの成り立ちのためだろうか)。
 
 強い陽射しのなかから大御堂に入る。
 祈りの空間としての荘厳の少ない(やや無機的な)堂内。真正面に、運慶作の諸像が5体、姿もくっきりと居並ぶ。講座の資料写真としてでもなく、博物館のケース内の展示品としてでもなく、これらの諸像が生まれた風土のなかで直に拝観する姿だ。
 これらの願成就院の諸像を間近に拝して意外だったのは、横須賀の浄楽寺の諸像に比べ、いくぶん硬い印象があったことだった。浄楽寺の毘沙門天立像・不動明王立像の表情が若々しく張りに満ち、人懐こさを感じたのに対し、願成就院のそれらの表情はやや大人びて引き締まり、どことなくよそよそしかった。
 また阿弥陀如来坐像は、生々しい生命感で語りかける浄楽寺像の玉眼訂正:浄楽寺の阿弥陀如来座像の眼は「彫眼」 でした。そのことは、浄楽寺で拝観した際に説明を受け、納得したのですが、すっかり抜け落ちてしまっていました。】と異なり成就院像の修理後の彫眼は、自らの内側に沈潜しているように感じられた。
 詳しい説明をうかがったあと、奥の部屋で胎内納入物や遺物などを見学する。何よりも驚いたのは五輪塔形銘札の大きさ・厚さ、墨書の鮮やかさだった(実際に見るまでは、木簡のように小さく薄い板、判然としない墨書文字、というイメージがあった)。1186年の時間が、諸像とは違った形で、すぐ目の前にあった。

 願成就院の拝観後、韮山反射炉に立ち寄ることになった。
 世界遺産の登録を機に整備された史跡とガイダンス施設を見学する。ここでも熱心な説明に納得しながら、ふと、廃炉となった「もんじゅ」の皮肉な(?)在り方などが思い浮かんだりもした。
 不思議な造形美も持ち合わせる反射炉。人間の手が行き届く大きさの建築物であることが、その不思議な造形美に係わっているように思えた。

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史跡(現在は駐車場)に立つ説明板:
「南塔跡」と推定されるこの地点は、東向きに建つ願成就院の南東に位置する。

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東側から見る願成就院のたたずまい:
左手前に推定「南塔跡」。境内の左手奥にどっしりとした茅葺の本堂。門の真正面奥に仏像群を蔵する大御堂。

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レンガを積み重ねた個性的な造形の煙突。
大砲製造工場という威圧感が無い。優雅な?軍需産業施設。
その製造工程で最も不思議に感じたのが、丸太状に鋳造した砲身を水車の動力で回転させ、固定した錐で刳り抜く、というもの。管玉を製造するかのような発想。気の遠くなるような穿孔の工程。

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近くの茶畑から見る山並み(奥沼津アルプス?):
眼下に反射炉。右手奥に望めるはずの富士山は雲におおわれている。 

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茶畑の道脇に成っていた柿の実:
青々として、ヘタの大きさが目立つ実。