25日朝、家族に誘われて伊豆の国市に向かった。
いつもの電車の窓枠の大きさに切り取られた景色とは違って、相模湾沿いを走る車から、青い海と箱根山が一つながりに見渡せた。
途中、三島大吊橋の近くでは一瞬視界が開け、富士山が姿を現した(みなが「大きい…」と口をそろえた)。
狩野川・古川と下田街道に挟まれ、さらに緑の光背のような守山に抱かれ、願成就院はこじんまりと建っていた。同じように緑の山を背にしていても、鎌倉の複雑な谷々に潜む寺に比べ、明るく開放的な立地だと思った(北条氏政の氏寺という、そもそもの成り立ちのためだろうか)。
強い陽射しのなかから大御堂に入る。
祈りの空間としての荘厳の少ない(やや無機的な)堂内。真正面に、運慶作の諸像が5体、姿もくっきりと居並ぶ。講座の資料写真としてでもなく、博物館のケース内の展示品としてでもなく、これらの諸像が生まれた風土のなかで直に拝観する姿だ。
これらの願成就院の諸像を間近に拝して意外だったのは、横須賀の浄楽寺の諸像に比べ、いくぶん硬い印象があったことだった。浄楽寺の毘沙門天立像・不動明王立像の表情が若々しく張りに満ち、人懐こさを感じたのに対し、願成就院のそれらの表情はやや大人びて引き締まり、どことなくよそよそしかった。
また阿弥陀如来坐像は、生々しい生命感で語りかける浄楽寺像の玉眼【訂正:浄楽寺の阿弥陀如来座像の眼は「彫眼」 でした。そのことは、浄楽寺で拝観した際に説明を受け、納得したのですが、すっかり抜け落ちてしまっていました。】と異なり、願成就院像の修理後の彫眼は、自らの内側に沈潜しているように感じられた。
詳しい説明をうかがったあと、奥の部屋で胎内納入物や遺物などを見学する。何よりも驚いたのは五輪塔形銘札の大きさ・厚さ、墨書の鮮やかさだった(実際に見るまでは、木簡のように小さく薄い板、判然としない墨書文字、というイメージがあった)。1186年の時間が、諸像とは違った形で、すぐ目の前にあった。
不思議な造形美も持ち合わせる反射炉。人間の手が行き届く大きさの建築物であることが、その不思議な造形美に係わっているように思えた。
史跡(現在は駐車場)に立つ説明板:
「南塔跡」と推定されるこの地点は、東向きに建つ願成就院の南東に位置する。
東側から見る願成就院のたたずまい:
左手前に推定「南塔跡」。境内の左手奥にどっしりとした茅葺の本堂。門の真正面奥に仏像群を蔵する大御堂。
レンガを積み重ねた個性的な造形の煙突。
大砲製造工場という威圧感が無い。優雅な?軍需産業施設。
その製造工程で最も不思議に感じたのが、丸太状に鋳造した砲身を水車の動力で回転させ、固定した錐で刳り抜く、というもの。管玉を製造するかのような発想。気の遠くなるような穿孔の工程。
近くの茶畑から見る山並み(奥沼津アルプス?):
眼下に反射炉。右手奥に望めるはずの富士山は雲におおわれている。
茶畑の道脇に成っていた柿の実:
青々として、ヘタの大きさが目立つ実。