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私の第三十四夜をつづります。

田中一村の絵

 今から30年ほど前、田中一村という画家の作品と、その生涯がTVで初めて広く紹介された時、何より心を衝かれたのは、その人が暮らしていた奄美大島の家の驚くほどの小ささだった。
 この”一室”に棲み、あのような作品を描き続けたのだ。
 映し出された痩せ抜いた画家の身体は、生まれた作品の輝きと引き換えのものなのだ。
 画家の命と切り結ぶようにして作品が生まれ出たのであろうことに、胸が詰まる思いがしたことを一番に思い出す。
 その後、10年ほど経って、新宿のデパートで開かれた「田中一村の世界」展を観た。
 そこでは、絹地に岩絵の具で描かれた作品群の薄く儚い質感に驚いたこと、また、彼が日本画家だったことなどを強く意識させられたことを思い出す。
 そして再び、今朝のTVで田中一村の絵画展が開かれることを知った。
 もはや、田中一村のような画家が生まれないことは確かなことのように思う。
 だからこそ、30年前の自分、20年前の自分とは違った眼で、もう一度、田中一村の絵を観てみたい…そう思う。

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田中一村の世界」展の絵葉書(三越美術館 1996年1月3日~28日):
使うことができないままの絵葉書集。今思えば、その頃の自分は、地獄のような葛藤の数年間を経て、ようやく、新しい光を見いだそうともがいていた。

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アダンの実(宮古島の西平安名崎で 2018年3月7日撮影):
アダン、ダチュラなどの植物の名前を知ったのも、田中一村の絵を通してだった。
今春、宮古島で初めて眼にした実物のアダンの実に、画家が描いたような妖しさはなかったけれど、その形、その生命感はやはり独特のものだった。