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私の第三十四夜をつづります。

2018.9.22 ~晩夏の七日間~ (5) 栂池

 彼岸入りして、へとへとの夏の記憶がようやく薄れてきてた。
 夏の疲れをいやすように、季節は「秋」へと向かっているのだ。
 その足取りに励まされ、私のなかにも元気になったような錯覚が生まれてくる、わけもなく。
 
 昨夕、駅近くの食堂の前で見た植木鉢のサンジソウ…くっきりとしたピンクの小粒の花が元気そうだった。
(かつて、食堂のそばの舗道の車止めに張りつくように咲いていたサンジソウが、いつからか姿を消してしまっていた。もしかすると、あのサンジソウが、縁あって、ここに移ってきたのかもしれない…などと想像する。)
 
 元気なような錯覚があるうちに…と晩夏の七日間に撮りためた写真を眺める。
 その写真の風景のなかに確かに在った自分…その風景に出くわした時の自分…そうだ、あの時…思わず声を出しそうになるほどの喜びを感じたのだった。
 さらに、自分がそのような喜びを感じていることが嬉しかったのだった。
 その強い喜びの感覚も、1枚の写真があればこそ、もう一度、呼び起こすことができた。
(おそらく、或る風景に出会うたび、私のなかで何かが沸騰する回路ができあがっているのかもしれない)。またいつか、そんな風景に出会いたい。

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木道端の白い花(イブキゼリモドキ?):
その葉の形を、撮った写真を見て知る。白く小さな花と似合う葉の形。

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ワタスゲ湿原」(白馬岳は雲のなかに):
目の前に開けたこの風景は、私を浮遊させた。フッと、何もかもから解き放たれたような快感。思わず声をあげそうになるような一瞬が訪れたのは、ほんとうに久しぶりだった。

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風穴に残る雪:
風穴の周辺の冷たい風は、きっと一年じゅう風穴に棲んでいる風なのでは?と思えた。

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風穴の周辺に咲くキヌガサソウ
「きぬがさ」…埴輪の”蓋(きぬがさ)”や高松塚古墳の壁画に描かれた”蓋”に通じるような印象はなかった。あえて思い浮かべるのは、カザグルマが回っている風景?

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オヤマリンドウ?①
オヤマリンドウ?②
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ユキザサ?の実:
ユキザサの名は白い花に由来し、その実は赤く熟してゆくようだ。ユキザサのなかにも、さらにヒロハユキザサ、オオバユキザサなどがあるらしく、この写真の葉は広いし大きいし…。

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オシラビソの実:松ぼっくりというより、マイクのような形?

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モウセン池:
小さい頃、植物図鑑のなかで魅入られた「モウセンゴケ」には出会えなかった。

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モウセン池で見かけた思索者:
その思索者の姿は、私には”鹿男”に見えた。日本列島が地震で揺らぎ続ける限り、私は“鹿男”という言葉を忘れることができない? そして、”鹿男”は今、モウセン池の周囲をおろおろと宮沢賢治のように歩き回っている? そんな姿に見えた。

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湿原の先に姿を表した雪渓:山は雲に閉ざされたまま。

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サンカヨウの実:美しい白い花(見ることはできなかったけれど)が咲き終わったあとに美しい青い実。

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アカモノ?の実:
♪赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い? 赤い実を食べた♪ …色とりどりの実を見る季節に思い出す歌。

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浮き島湿原:
池泉庭のような空間。写生する人を見かけると、カメラに頼って何も見てはいない自分の姿が頭をよぎったりする。

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イワショウブ:
白かった冠はルビー色の冠になるのか。

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ミヤマシシウド?の白い花と薄紫色の実:
カメラを向けた時は、白い花が枯れ、薄紫色に萎れたのだと思っていた(やはり、何も見てはいなかったのだな)。

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ミヤマトリカブト

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?にとまるヒメキマダラヒカゲ:筋ばった茎、花から待ち針のように伸びる蕊…花の名前が突き止められない。

ゴマナ?にとまるヒメキマダラヒカゲ
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栂池ヒュッテ記念館:
破風窓の眼が笑っている。歩き終わると、堂々と美しい山小屋に迎えられた。