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私の第三十四夜をつづります。

「伊豆の平安仏」展

 3日、早起きして下田に出かけた。
 熱海・伊豆山神社伊豆高原まで出かけることはあっても、下田まで足を伸ばすことはない。おそらく三十数年ぶりの伊豆急下田駅に着くと、寝姿山が目の前にあらわれた(そのような特徴的な山があったことさえ忘れていた…そのことに驚く)。
 
 目的地の上原美術館までは、西伊豆方面に行くバスに乗り、川沿いに北上することになる。
 (帰ってから地図を眺め直すと、バスは下田駅から蓮台寺駅・稲梓 いなずさ 駅へと逆戻りするように北上していた。稲梓駅から歩くことができそうな距離に見える。)
 停留所から、ゆるやかな坂道をさらに登り続けた先に美術館はあった。
 
 特別展(「伊豆の平安仏-半島に花開いた仏教文化」)を見学し、講演を聴く。
 多くのスライドをもとに、熱のこもった解説…講師の学芸員さんが何度も額の汗を拭きながらの講演…は、はるばる出かけた甲斐のあるものだった。
 その解説の言葉のなかでは、”伊豆半島の南北問題”というものが印象的だった。
 伊豆半島の仏像は平安時代からスタートすること、それらが伊豆半島南半部に残ること。平安時代の仏像群のあり方(鎌倉時代以降の仏像が残る北部に対し、平安時代の仏像群が南部に偏在?すること)を概観的にイメージすることができた。
(ただ、河津町南禅寺 なぜんじ を中心として、それらの平安仏の分布様相を、具体的な地図上の分布として把握することはできなかった。図録をもとに、自分で分布図を作って確かめなくてはならないと思う。)
 今回初めて拝する謎めいた平安時代の仏像群。
 熱海・伊豆山(走湯山)は半島南部とはいえないけれど、あの特異な男神立像も含めて、平安時代伊豆半島への興味・関心が一層深まった一日となった。
 
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受付前のバナー:
図録の表紙写真と同じく「千手観音立像」(11世紀 伊豆市大平 金龍院)が人々を出迎えている。この像を拝した時、まず、写実的な表情(涙袋や人中の表現)に人間的な親しみを感じた。そして、伊豆半島の”11世紀の千手観音像”が実際に残っていること、実際に目にできることに心が躍った。
 
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美術館駐車場からの空:
入館時には薄曇りの空だったけれど、夕方近くには、眼の醒めるような明るい青空に変わっていた。白い雲の浮かび方もシュールな絵画のよう…。
 
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秋の実①:美術館からバス停へと下る道で。
 
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蓮台寺駅から望む夕空:
バスは蓮台寺駅で降り、電車を待つ。城ヶ崎海岸駅で降りる頃にはとっぷりと日が暮れてしまい、街灯もまばらな夜道(それも急な坂道)を歩くことになった。登り切って国道に出ても、車の往来が途絶えれば、鼻をつままれても分からないほどの暗闇に…。晩秋の旅にはカンテラか懐中電灯が必携なのだった。
 
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秋の実②:4日午後、小雨のなかを富戸駅へと下る道沿いで(奥の実は夏ミカン?)