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私の第三十四夜をつづります。

おきなわ(5)

12月14日という日がやってくる。
「予定通り、辺野古の海に土砂が投入された」…これまでの自分なら、そうした報道の現実に負けてしまうのだろうと思う。
これまでも、”圧倒的な現実に飲み込まれる不安、虚しさ、不甲斐無さ”を味わった。

でも、今回ははっきり違う。
凶事 まがごと が出現する日を怖れていない。
その日を、自分なりに迎え撃つことができる。

沖縄で出会った人々の顔が今もはっきり見える。
沖縄で出会った人々の眼、言葉。
”不屈”の塊りとなって向かえ撃つ人々が確かに生きている。

14日が終わりではない。
さらなる”不屈”が始まる日だ。

【11月25日 恩納村本部港伊江島那覇 ②】_________________________

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1 伊江島の青い海:
標高176mの城山( ぐすくやま)から北西方向…「湧出(わじぃー)」のあたり?…を望む。
畑のパッチワークを美しく眺め渡す。平穏な農地が広がることの尊さ。

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2 湧出(わじぃー)の展望台から①

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3 湧出(わじぃー)の展望台から②

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4 補修・保存工事中の”伊江島団結道場”:
今、この補修・保存工事のための募金が募られている。
募金への賛同・協力を呼びかける文には、その名称の所以が記されていた。
「…団結することの大切さを象徴した”五本の指”の思想が結実したものであり、今もフェンスで囲われた米軍の演習場に対峙するように立っているこの建物が、”闘争小屋”でも”監視小屋”でもなく”団結道場”と名づけられた…」

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5 ”伊江島団結道場”の壁に掲げられた「陳情規定」のことば:
”非暴力の闘い”から生まれた ことば には、切ないものも感じる。当時の伊江島の人々の切なさなのだろうと思う。

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6 ”伊江島団結道場”から見る城山(ぐすくやま)
”団結道場”と”城山”の間には、米軍補助飛行場や伊江島空港の敷地が広がっている。

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7 米軍による砲撃の跡(”公益質屋跡”をバスの窓から撮影):
この建物の姿が日常であり、現実である日々と、バスの窓からカメラを向けて一瞬にして通り過ぎる私たちとの落差。

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8 沖縄とは?:
短い旅を終えた今、沖縄はこれまでと違って見える。
知らなくても、生きてきた。知らなくても、生きてこれた。
知らないより、知るほうがずっと良い…今、そう感じる。