22日夜、思い立って辻堂駅に向かった。
辻堂駅の北側はスマートな都市空間だった。さっそく迷った。いつものように、二人の人に映画館の場所を尋ね、やっと目的地にたどり着く(やれやれ)。
2時間はあっという間だった。
暗闇のなかで、絶頂期のマリア・カラスの歌声を浴び続けた。
歌っている時の彼女の胸郭の動き、口腔を開け閉てするために細かく調整される唇の形に見とれた。
うらやましかった。彼女の歌声を歌劇場で聴いていた人々が、すごくうらやましかった。観客たちのあの熱狂のなかに居たかった。
21世紀に、彼女に代わるような「マリア・カラスの再来」の歌い手が出現するだろうか?
彼女が去ったあと、私たちは誰を待ち続けることになるのだろうか?
願うことなら、日本からマリア・カラスのような歌い手が出現してほしいと思う。
そして、『蝶々夫人』ならば、林康子さんを凌ぎ、またマリア・カラスとは別の輝きを放つ歌い手が、日本からも生まれるかもしれない。そんなことも思った。
映画館が入っている大きなビルを出る。
駅前広場の青いイルミネーションの上に、満月になろうとする月がのぼっていた。
月はこうして変わらずに静かに光り続けているというのに、地上の人々といえば、生まれてはたちまちに去ってゆく。
マリア・カラスでさえ、もういないのだ…あの稀有の歌声とともに生まれ、束の間に輝いて去っていってしまったのだ。