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私の第三十四夜をつづります。

マリア・カラスの歌声、そして満月。

 22日夜、思い立って辻堂駅に向かった。
 『私は、マリア・カラス』という映画を観るため…とはいえ、夜になって映画を観るために出かけるのは初めてのこと。しかも、平塚に生まれ育った人生のなかで初めて降りることになる辻堂駅
 
 辻堂駅の北側はスマートな都市空間だった。さっそく迷った。いつものように、二人の人に映画館の場所を尋ね、やっと目的地にたどり着く(やれやれ)。

 2時間はあっという間だった。
 暗闇のなかで、絶頂期のマリア・カラスの歌声を浴び続けた。
 歌っている時の彼女の胸郭の動き、口腔を開け閉てするために細かく調整される唇の形に見とれた。
 うらやましかった。彼女の歌声を歌劇場で聴いていた人々が、すごくうらやましかった。観客たちのあの熱狂のなかに居たかった。

 21世紀に、彼女に代わるような「マリア・カラスの再来」の歌い手が出現するだろうか? 
 彼女が去ったあと、私たちは誰を待ち続けることになるのだろうか?

 願うことなら、日本からマリア・カラスのような歌い手が出現してほしいと思う。
 そして、『蝶々夫人』ならば、林康子さんを凌ぎ、またマリア・カラスとは別の輝きを放つ歌い手が、日本からも生まれるかもしれない。そんなことも思った。

 映画館が入っている大きなビルを出る。
 駅前広場の青いイルミネーションの上に、満月になろうとする月がのぼっていた。
 月はこうして変わらずに静かに光り続けているというのに、地上の人々といえば、生まれてはたちまちに去ってゆく。
 マリア・カラスでさえ、もういないのだ…あの稀有の歌声とともに生まれ、束の間に輝いて去っていってしまったのだ。
 
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