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私の第三十四夜をつづります。

薬師堂の外と中

 30日、講座の一行とともに鎌倉に出かけた。
 北風にさらされることもなく、やわらかな陽射しもあった。
 鶴岡八幡宮境内で、人々が白梅・紅梅の枝々を見上げる姿に春の近づきも感じた。

 国宝館では頼朝の直筆(寄進状)に見入った。その筆致には、私が抱いてきたイメージとは別の個性を感じた。
(歴史上の人物ということではなく、確実に生身の体を持った人間であることを伝えてくる、”癖のある字”が並んでいた。)
 また、実朝の肖像彫刻の前では、その小さく細い玉眼を覗き込んだ。何も語ろうとしない実朝の虚ろな眼に少し落胆した。

 初めての覚園寺(二階堂)は谷戸奥にあった。
 時間を堰き止めて閉塞されてきた空間に、ぴったりとおさまる小さな薬師堂…思わず『すごい…』という言葉を呑みこむほどに美しく顕れたのだった。
 何と言えば良いのか…その孤独に遺されたお堂の在り方が、”在る時代の時間”を彫刻した結果、その形におさまって今に在る…そんなふうな姿に見えた。

 そして、薬師堂の外見が、時間の止まった”小さな静”の形として在るのに対し、その内部に座す薬師三尊像は、いまだ”偉大な生活者”の生々しさを放って存在していた。
 それらの逆転する対比的な”形”の在り方は、外界の明るさと内部の暗さという、やはり逆転する対比的な”光り”の在り方でさらに強まったのかもしれない。
 そうなのだ。
 暗いお堂の中に入った瞬間、再び、「思わず『すごい…』という言葉を呑みこむほどに…堂内空間の広がり、そして薬師三尊像の圧倒的な在り方が…美しく顕れたのだった。」

 最後に巡った西御門の来迎寺を出る。午後の陽射しにも、まだ温かさが残っていた。
 直ぐ駅に向かうのも名残り惜しく、寺横の八雲神社に立ち寄ってみた。
 数年前に神社の奥を訪ねた時には小暗い印象を持ったけれど、今回は「妙見大菩薩」の石碑にも白い光が差して、穏やかな空間になっていた。
 仏様たちを訪ね歩く時間のなかで、私のなかに、いつもよりは平安な空間が広がったためなのかもしれなかった。

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