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私の第三十四夜をつづります。

カンボジアで見た”信仰の形”②

 現在の日本で、散歩道の途中で、カンボジアで見たような祭壇を見かけることはない…と思う。
 その代わりに、少し似たようなものを思い浮かべる。
 京都の路地裏で見かけるお地蔵さんの小さな祠。
 また、民家の庭の隅に建つ小さなお稲荷さんの社。
  
 カンボジアの旅のなかでは…地元の人か観光客なのかは区別できなかったけれど…それまで賑やかだった人々が、仏様の前に来ると、それまでの表情を引き締め、畏まってひざまづき、熱心に祈りを捧げる姿を目にした。

 人間は祈らないではいられないのだなと、私の場合は旅に出た時にとりわけ強く思う。
 私自身の日頃の祈り…”祈りのようなもの”…がごく表面的なものだったように感じさせられるからなのだと思う。

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ヤカンを提げた老人を祀る祠堂(バンテアイ・クデイ遺跡~シェムリアップの途中で):
仙人のような姿で柔和な表情。カンボジアの人々は、このような像に、どのようなことを願って祈りを捧げるのだろう。

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「地主神~」を祀る祠堂(シェムリアップ:レストランの庭で):
「福禄自天来」、「五路財宝□」、「地主神□」、「四方金銀□」、「金銀従□起」などの文字が並ぶ。
レストランだからか、お供えの食物が新鮮…。

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四面仏?(大梵天王?)を祀る祠堂(プノンペン:ホテルの庭で):
おそらく四面で、八臂の仏様。
半跏風に下ろされた足もとには、二段にわたって、お雛様の”七段飾り”の賑やかさ。象や馬?などの姿もある。

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プルメリア?の樹下の祠堂(シェムリアップ:ホテルの近くで):
祀られているのは、白眉・白髭の貴人の姿をした”神様”(?)。恰幅が良く立派な目鼻立ちで、きらびやかな服をまとう。

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神棚のように祀られた小さな祭壇(プロアネット・プリア村の石像店で):
左右の二体の仏像の絵に守られるような置かれ方。
祭壇の中は「神位」・「祖位」の二つに分かれ、「香煙繞結祥雲」などの文字が見える。