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私の第三十四夜をつづります。

バンテアイ・チュマールの”千手観音像(レリーフ)”④

 今回の旅で訪ねたカンボジアの遺跡(アンコール遺跡群を中心とする遺跡)は20箇所。
 その年代の範囲は、「7~8c初め」の遺跡から「13c初め」の遺跡までに及び、数の上では12c代が中心となっている。
 【年代の参考:『アンコール・ワットへの道 クメール人が築いた世界遺産石澤良昭・内山澄夫 2009年】
 それらを、さらに大まかにヒンドゥー教寺院と仏教寺院とに分けてみると、12c前半のアンコール・ワットまでの10箇所がヒンドゥー教寺院、12c後半以降の10箇所が仏教寺院であった。
 無理やりなとらえ方ではあるけれど、今回の旅では、12c前半までのヒンドゥー教寺院の遺跡、12c後半以降の仏教寺院の遺跡を見学してきた…というイメージになる。
 
 まだ始めたばかりというのに、20遺跡に分類した写真ファイルを前にして、整理・まとめをやりとげようとする気力・体力を失いつつある。
 陽気も良くなったし、海岸にも出かけたいし、山の桜も眺めたいし、カンボジアの写真は逃げてゆかないのだし、と自分に言い訳をしている。
 
 20遺跡のなかでは、”13世紀初め”という最も新しい遺跡バンテアイ・チュマール。
 その外壁に残された”千手観音像”(1)~(3)が、今回の旅の最後のまとめになりそうだ。
 
 で、”千手観音像”(1)~(3)の間には、呼称の分からないレリーフ像が残る。
 どのような信仰、祈りの対象なのだろうか?
 なぜ、この像が”千手観音像”の間に描かれているのだろうか?
 この遺跡から失われた”千手観音像”があるのだとしたら、そしてそれらが全て残っていたとしたら…。  
 私には何も読み取ることができなかったけれど、現在もなお生き残る”千手観音像”たちに感謝したい。これからも、その姿が長く長くとどまりますように。
 
”千手観音像”(2)と(3)の間のレリーフ像(バンテアイ・チュマール):
腕が4本の多臂像。額中央に”第三の眼”。頭頂部に小さな仏様(坐像)を載せる。
イメージ 1

”千手観音像”②と③の間のレリーフ像の頭部:

くっきりとした”第三の眼”。眉・眼・口元がりりしく、若々しい。
頭頂部の小仏坐像は頭部が失われている。
持物は判然としない。

イメージ 2


 ”千手観音像”②と③の間のレリーフ像の下部:
折り重なるような密度で踊る女性像からは、晴れやかで賑々しい音楽が鳴り響いてくるようだ。
最下部の舟の形は、この遺跡の手前の池に浮かんでいたボートの形そのままのような?。
イメージ 3