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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑦

 道標が立つ横尾付近の分かれ道で、青谷へと下る右(南)側の道を選んだ。
 金山媛神社に立ち寄って、雁多尾畑の集落へ行き着く道だ。集落へは、やや迂回する道になるのかどうか、左(北)側の道も歩くことで比較できるようになると思う(『また、この地を訪ねるのだ』…小さな目的が見つかると、少し励まされる)。
 
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金山媛神社:
予想外に新しい建築。伝承では、中世に「金山彦神社」とともに、「嶽山の嶺」から現位置に遷ったとされているようだ。「嶽山の嶺」は、「竜田山」のなかでも、とくに強い風の通り道の嶺なのかもしれない。
その「金山媛神社」・「金山彦神社」の原位置「嶽山の嶺」について調べると、「小嶺の山」・「留所の山」と呼ばれる地が推定されているらしい。「三室山」や「留所の山」が、地すべり地帯の頂上部にあたることも、遷座の理由だったろうか・・・などと、いつものように勝手な想像をする。
 
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松谷山光徳寺(円融法皇 後堀河院 勅願所):
山の中の温泉町?のような細い坂道の途中に建つ。988年創建とされているので、高向草春が「三室の岸」の歌を詠んだ頃(おそらく10c初め頃?)には無かったはずの寺、しかし、11c前半の歌人相模がこの道筋をたどったのなら、目にした(立ち寄った?)はずの寺、などと思う。
 
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”伝 龍田本宮御座峰”に向かう坂道:
かなりの急坂だった。振り向くと、200m越えの高さの斜面に肩を寄せ合うような集落の姿。これもまた、机上ではまったく予想もしていなかった立体的で色彩豊かな姿だ。机上でも楽しく、道の上でさらに楽しい…。
 
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”竜田古道の里山公園”に立つ歌碑(『万葉集』巻十 2214 作者未詳):
この公園事務所で「竜田道」について教えていただき、当初の予定d:「金山彦神社」を経由→ e:「亀の瀬」、「竹原の井」、「島山(芝山)」など、和歌に詠まれた地点を経由)を変更し、「三室山展望台」へと向かうことになった。今回は、大和川を間近に見ることができなくなったのが残念だったけれど。
 
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竜田山」からの展望(東の方角):
公園事務所や”留所の山”よりやや高い道路から、かすみがかった奈良盆地が望めた。右手に畝傍山?と思える山の姿。
 
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”伝龍田本宮御座峰”とされる地と石碑(「龍田山伝承の地」):
平塚・大磯の八俵山~浅間山にも似て、うららかな陽射しを浴びて気持ちの良い場所だった。地元の方々による手入れの賜物のように感じた。