今回の路程のなかでの最高地点”伝 龍田本宮御座峰”(約285m)から、「留所の山」の脇を東に下り、「三室山」へ向かう。
(ちなみに、斑鳩町龍田の西を南流する現・竜田川のほとり…大和川との合流点近く…にも三室山〔82m〕があるという。ただ、私は、高向草春が「三室の岸」と歌ったのは、柏原市の「三室山」の南~南西麓…「峠」地区の岸辺として想像している。)
三室山へ向かう道で(”留所の山”方面をふり返る):
現在はハイキングとしても楽しく歩くことができる山道。果たして、どの時代まで遡ることができるのだろう。近・現代をはるかに遡り、中世・古代にまでも続く道筋であれば嬉しいけれど。
(『地図でみる西日本の古代』〔平凡社 2009年〕で使われている大正期の旧地形図を見る限り、大和国・河内国間を往来するための最短ルートとしては、「三室山」・「雁多尾畑」を通る北路と、大和川沿いに「峠」・「高井田」を通る南路の二つに絞られるように思える。
ただ、この大和川沿いの南路のうち、「峠」地区付近が、人々にとって…少なくとも『和漢朗詠集』を読むような人々にとって…地すべりの難所としてイメージされるようになった場合、その区間の道筋は避けられた可能性、より安全な「雁多尾畑」経由の道筋を選ぶようになった可能性を思い描いている。)
「龍田神社本宮址」:
「伝 龍田本宮御座峰」を経て、この地まで歩いてきて、かつて似たような経験をしたことを思い出した。
大和川を眼下に望む三室山展望台:
眼下の大和川をはさみ、対岸に連なる緑は、明神山(274m)の山並みか。
明神山に”送迎 ひるめ 越え”と呼ばれる古道があることを、二上山の麓を歩いた時に知った。
名を知るだけの山の緑を、「竜田山」から、このように眺めることができるのだった…。
三室山の四等三角点(137.05m):
三角点に出会うと、いつも嬉しくなる。そういえば、日金山へと登る途中の岩戸山でも三角点を見たような…?
「龍田古道推定ルート」案内板(三室山展望台):
(私が想定する e ルート…全行程を大和川右岸沿いに辿るルート…は推定されていない。)
また「雁多尾畑」を通る道筋も、私が今回採ったような、いったん堅上中学校付近で青谷へ下りて再び上るM字型のルートとなっている。
(今回、a の分かれ道で、私が選ばなかった左の道… a・c・b をなだらかに結ぶ北側の道筋…も推定されていない。)
やはり、まだまだ試行錯誤する必要がありそうだ…やれやれ。
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a:生津(”地蔵堂”付近)、横尾(「松谷御堂」道標付近)を経由
b:三室山を経由
c:「松谷光徳寺」を経由
d:「金山彦神社」を経由
e:「亀の瀬」、「竹原の井」、「島山(芝山)」など、和歌に詠まれた地点を経由
f: 青谷遺跡(8c半ば頃の「竹原井頓宮」推定地)付近、近世では「夏目茶屋の渡し」付近で大和川
を渡河
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三室山の四等三角点(137.05m)
「龍田古道推定ルート」説明板(三室山展望台)