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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑧

 今回の路程のなかでの最高地点”伝 龍田本宮御座峰”(約285m)から、「留所の山」の脇を東に下り、「三室山」へ向かう。
(ちなみに、斑鳩町龍田の西を南流する現・竜田川のほとり…大和川との合流点近く…にも三室山〔82m〕があるという。ただ、私は、高向草春が「三室の岸」と歌ったのは、柏原市の「三室山」の南~南西麓…「峠」地区の岸辺として想像している。)

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三室山へ向かう道で(”留所の山”方面をふり返る):
現在はハイキングとしても楽しく歩くことができる山道。果たして、どの時代まで遡ることができるのだろう。近・現代をはるかに遡り、中世・古代にまでも続く道筋であれば嬉しいけれど。
(『地図でみる西日本の古代』〔平凡社 2009年〕で使われている大正期の旧地形図を見る限り、大和国河内国間を往来するための最短ルートとしては、「三室山」・「雁多尾畑」を通る北路と、大和川沿いに「峠」・「高井田」を通る南路の二つに絞られるように思える。
ただ、この大和川沿いの南路のうち、「峠」地区付近が、人々にとって…少なくとも『和漢朗詠集』を読むような人々にとって…地すべりの難所としてイメージされるようになった場合、その区間の道筋は避けられた可能性、より安全な「雁多尾畑」経由の道筋を選ぶようになった可能性を思い描いている。)

イメージ 2龍田神社本宮址」:
「伝 龍田本宮御座峰」を経て、この地まで歩いてきて、かつて似たような経験をしたことを思い出した。
歌人相模の”走湯権現奉納百首”について調べていた頃、海岸近くの”走り湯”や、伊豆山神社から本宮・日金山東光寺へ仄暗い山道を苦労して辿ったことを思い出したのだ。
「伊豆山」と「竜田山」のそれぞれの神社が、山の高所から人里近くへと下りてゆく経過の痕跡は同じように見えて、その立地環境を比べた時、伊豆山神社がはるかに険しい地点に立地していることを改めて思わないではいられない(改めて、歌人相相模が「竜田越え」をしたとして、それは決して越えがたいものではなかったはず、と思う。)

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大和川を眼下に望む三室山展望台:
眼下の大和川をはさみ、対岸に連なる緑は、明神山(274m)の山並みか。
明神山に”送迎 ひるめ 越え”と呼ばれる古道があることを、二上山の麓を歩いた時に知った。
名を知るだけの山の緑を、「竜田山」から、このように眺めることができるのだった…。

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三室山の四等三角点(137.05m):
三角点に出会うと、いつも嬉しくなる。そういえば、日金山へと登る途中の岩戸山でも三角点を見たような…?

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「龍田古道推定ルート」案内板(三室山展望台):
この案内板では、大和国龍田大社方面)から河内国河内国府方面)へ向かう最短ルートの道筋は、大和川右岸沿いの道筋を のポイント【案内板の】で渡り、その後は左岸を辿ることになるようだ。
私が想定する ルート…全行程を大和川右岸沿いに辿るルート…は推定されていない。)
また「雁多尾畑」を通る道筋も、私が今回採ったような、いったん堅上中学校付近で青谷へ下りて再び上るM字型のルートとなっている。
(今回、a の分かれ道で、私が選ばなかった左の道… a・・b をなだらかに結ぶ北側の道筋…も推定されていない。)
やはり、まだまだ試行錯誤する必要がありそうだ…やれやれ。
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 a:生津(”地蔵堂”付近)、横尾(「松谷御堂」道標付近)を経由
 b:三室山を経由
 c:「松谷光徳寺」を経由
 d:「金山彦神社」を経由
 e:「亀の瀬」、「竹原の井」、「島山(芝山)」など、和歌に詠まれた地点を経由
  f: 青谷遺跡(8c半ば頃の「竹原井頓宮」推定地)付近、近世では「夏目茶屋の渡し」付近で大和川
   を渡河
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三室山の四等三角点(137.05m)

「龍田古道推定ルート」説明板(三室山展望台)