enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

『9条入門』をドキドキしながら読み終わる。

 『9条入門』の表紙カバーに1枚の写真が使われている。
 そのキャプションには、
 「1946年(昭和21年)11月3日、新憲法公布記念の祝賀大会に集まった都民に帽子を振ってこたえる昭和天皇朝日新聞社)」とある。
 その白黒写真の中央には、当時45歳の昭和天皇、その左には伏し目がちな香淳皇后の姿。そして周囲には万歳三唱する人々。
 また、後方のステージには大きな日の丸が広がり、その前で外国人らしき人がファインダーを覗くような姿勢で立っている…。

 『9条入門』を読んだ直後だった。この写真を眼にして、その場所…皇居前広場に一瞬紛れ込むような錯覚があった。そして、唐突に、涙で写真がぼやけた。
 
 『9条入門』の筋書きのスリリングな展開にドキドキし、どこか文学的な?筆致にワクワクするなかで、これまで”9条”の上にずっとかかっていたモヤモヤに、少し晴れ間が見えてきた…そんなふうに感じていたにもかかわらず、情緒的な反応というものは、どこか別のところから脈絡なくやってくるものらしい。
 
 どこまでも因果な…どこまでも、どこまでも、因果な戦後の時間が流れ続けている。
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『9条入門』(加藤典洋 2019年 創元社)から引用:

【298頁】
「 もともと憲法9条の「戦争放棄」とは、宗教的・思想的な絶対平和主義ではなく、国連軍を中心とした国連の集団安全保障体制を前提としたものでした 」
【299頁】
「 個別国家の戦争を違法とする国連の集団保障の理念を崩壊させたのも、ダレスが憲章に書き込んだ集団的自衛権(同51条)という概念でした 」
【322頁】
「 ほとんど、なすすべもなくダレスに完敗した日本の独立交渉は、その敗因が天皇による二重外交にあったのではないかと豊下は指摘しています 」
【323頁】
「 憲法9条の平和主義と、それをまったく信用しないニヒリストである昭和天皇の姿を対比させてみると、前者の「からっぽな理想の姿」が浮かび上がってきます 」
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