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私の第三十四夜をつづります。

「平塚城跡 第2地点」の調査報告を聞いて

 


4月20日、旅から帰ると、その日は、「平塚城跡 第2地点」の現地説明会が開催された日だった。
 
数日後、資料だけでもと、電話をすると、現場(平塚農業高校)まで取りに来れますか?とのことだった。
細かい雨が降るなか、ちょっと長めの散歩のつもりで出かけることにした。
 
校門前に着き、担当者の方に電話をかける(緊張)。
ほどなく担当者の方が来られて、資料を無事にいただくことができた(恐縮)。
すると、ちょっと現場近くまで寄ってみますか?という思いがけない言葉。
担当者の方は、限られた作業日程の時間を割いて、調査成果の概略を説明してくださった(さらに恐縮)。
 
「平塚城跡 第2地点」は、相模国庁(第3砂丘列の東端)から南西約3.5kmの砂州砂丘上(第5砂丘列の西端)に位置する。
(遺跡から西へ約700mほど進めば、花水川〔金目川下流〕が相模湾へと南流している。)
 
この「平塚城跡」の立地については、大住郡と余綾郡とを結ぶルート(「相模国庁」~「平塚城跡」~花水川渡河~「出縄砦跡」~不動川沿い~余綾郡)上に載る地点であることに興味を感じた。
:このルートは、『神奈川の古代道』(藤沢市教育委員会 1997年)で示された、“『延喜式』による復原駅路”に基づいている。】

また、そのルート上の地点で、奈良・平安時代の集落が確認されたこと、特殊な遺物である石銙丸鞆**や緑釉陶器が出土したことなどは、「平塚城跡」の性格を考えるうえで貴重な成果であるように思った。
**石銙丸鞆の出土については、後日、「神奈川県発掘調査成果発表会2019」の発表要旨のなかで知った。なお、1988年に調査された「平塚城跡 第1地点」では、平瓦や「猪□」墨書土器などを出土している。)

こうして「平塚城跡 第2地点」の現説資料をいただいたあと、7月27日の「神奈川県発掘調査成果発表会2019」で、改めてその発表を聞く機会があった。
当日の発表要旨では、現説後の新たな調査成果を盛り込んだ遺構配置図(古墳時代後期~奈良・平安時代)も示されていた。

この新たな成果で気になったのは、詳細は不明ながら、東西方向に斜めに横切る道路状遺構(?)…隣接する溝状遺構と平行(ともに東に70度近くふれている)…が検出されていることだった。
幅2m(?)ほどの規模ではありながらも、砂丘列の向きに沿うような角度で、古代の道路状遺構(?)が現れたとすれば、”大住郡と余綾郡とを結ぶルート”の補強材料の一つになるように感じた。

そこで、まずは、今回の「平塚城跡」の成果をきっかけとして、国府域から余綾郡へ南西に向かう”『延喜式』による復原駅路”ルート図をもとに、自分なりに”余綾郡に向かう南西ルート図”を作ってみようと思った。
駅路に匹敵するような道路状遺構が検出されたわけでもなく、現時点では不確定の限られた情報をもとに作るならば、いつものように、妄想上の創作図に終わるはずだ…。)
 
一方、私の妄想とは異なり、平塚市で検出された道路状遺構として、国府域内を東西に横切り、西北西に向かうと想定される、幅9m前後の「古代東海道」、という考古学的な成果がすでにはっきりと出ている。
ただ、「箕輪駅家」に関する考古学的成果は、どこにも出ていない(推定地が示されている段階にある)。
試行錯誤の作業を楽しみながら、次のような”余綾郡に向かう南西ルート図”を作ってはみたが、やはり「箕輪駅家」の位置は謎のままだ。いつの日か、aかbか、あるいは全く別の場所で「箕輪駅家」の”物証”が明らかにされるまで、妄想を深めたいと思う。

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国府域の外(南西部)に連なる遺跡~ 
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  ■ 奈良~平安時代の遺跡
    <遺跡№55 「平塚城跡」(第1・第2地点)のみ、↑でその位置を示した>

―――――――  〔『延喜式』による復原駅路〕のルート:
             相模国の東から、国府外へ南西に進み、
             箕輪駅家推定地bで示す地点経て、余綾郡に向かう想定
             (『神奈川の古代道』で示されたルートに基づいている)

==―――==  古代東海道:
             国府を東西に横切り、国府外で西北西に進み、
             箕輪駅家推定地aで示す地点〔本宿B遺跡〕を経て、余綾郡に向かう想定

   石銙丸鞆
  U  平 瓦
  ▼  緑釉陶器
国府域から離れた、遺跡分布も粗くなってゆく地域のなかで、「平塚城跡」や「出縄砦跡」が特殊な遺物を出土していることを示した>
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【ベースの地図及び主な参考資料など】
・明治期の2万分の1地形図
・『神奈川県埋蔵文化財調査報告書38』(神奈川県教育委員会 1996年)他
・『神奈川の古代道』(藤沢市教育委員会 1997年)
・『秋期特別展「掘り起こされた平塚Ⅲ」 遺跡が語る地域の歴史』(平塚市博物館 2004年)
・『復元!古代都市平塚 ~相模国府を探る~』 (ふるさと歴史シンポジウム実行委員会 2006年)
・「平塚城跡 第2地点」現地説明会資料及び「神奈川県発掘調査成果発表会2019」発表要旨