整骨院に通い始めて9週間。
ようやく”ふつうの歩き方”を思い出せるようになった。
ただ、目がくらみそうな陽射しに負けて、海まで散歩に出かける気力がない。
窓から吹き込む海からの風を(大きくふくらんではためくカーテンの動きを)、ぼんやり眺めるだけだ。
今日、珍しくパソコンに安曇野の友人からメールが届いた。
そういえば?と携帯を手に取ると、バッテリー切れになっていた。
友人のメールには、安曇野が(盆地ゆえに)暑いこと、久しぶりに庭の草むしりをして疲れたこと、お盆休みが明けるまで仕事が少ないこと、空いた時間で本を読んでいること、面白いので次も同じ作家の本を読むつもり…そんなことが書かれていた。
携帯を充電しながら、何回かメールのやり取りをしたあと、私も少し充電された気持ちになった。
そして、枕元に置いたままになっていた『定家八代抄 続王朝秀歌選 (上)』をぱらぱらと読み始めてみた。
選んだのは「巻第十 羇旅歌」の頁。
はるかな時間を隔てた見知らぬ人々の、見知らぬ旅空を私も追いかけてゆく。
私だけは、後ろ髪をひかれることもなく、不自由な旅寝を味わうこともない。
ひととき、見知らぬ人々が詠んだ歌の空間を眼下にしつつ、鳥のように気ままに浮遊する。
俊成の歌では、波の音がはっきり聴こえてきたりする…。
怠け者の夏のぜいたくの一つは、友人が教えてくれたように、読書の時間のなかにあるのかもしれない。
海に出かけるのは少し後回しにして、図書館に行ってみようかな…そう思った。
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皇太后宮大夫俊成
824 浦づたふ 磯の苫屋の かぢ枕 聞きもならはぬ 浪の音かな
(浦から浦に伝って、岩がちの海岸の苫ぶき小屋で、梶を枕に旅寝をすると、
聞き馴れない波の音で、眠りを妨げられることだ。◇羇旅・五一五。)
【『定家八代抄 続王朝秀歌選 (上)』(岩波書店 1996年)より】
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