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私の第三十四夜をつづります。

「抗議はやめない」

            『朝日新聞』(2019年9月2日)から 

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連日、香港のデモに関する新聞記事を目にする。

2日の朝刊の写真…地下鉄車両内で、追い詰められたように、扉下にうずくまる4人の若者の姿。若者の顔めがけて、催涙ガスが容赦なく噴射された瞬間の写真だった。
催涙ガスの太く白い軌跡が、その勢いの強さを物語っている。

何ともやりきれない気持ちになる。
カメラレンズはちょうど、噴射する側と同じ真正面から、防御姿勢の若者たちの姿を捉えている。カメラマンはどんな思いでシャッターを切ったのか…そんなことも思う。

3日の朝刊一面でも、”中高生「抗議はやめない」”の見出しと写真が掲載されていた。
当然、デモ参加者たちはとても若い。そして、恐怖や怒りや身構えるような表情の代わりに、無邪気な笑顔を撮られている。その若さ、明るさに救われる気持ちがした。


昔、”暴力装置”という言葉があることを知った時、得体の知れない不気味な力、人々を問答無用に押し潰す力への怖れを感じた。

そして、「抗議はやめない」とする香港の人々に牙を剥きはじめた”不気味な力”を眼にする今、日本においても、「抗議をやめない」人々が、権力者が発動する”暴力装置”に生身で向き合う時、決して無傷では済まされない…そのような流れが生まれているのでは?…そんなふうに思えてくる。

一方で、こうも思う。
「抗議をやめない」人々は怒り、怖れ、時に笑ったりする。仲間とともに。
その人々は”装置”じゃないからだ。
ひとりの人間として怒り、ひとりの人間として怖れ、ひとりの人間として笑い、ひとりの人間として「抗議をやめない」。ひとりひとりの仲間とともに。

”夏と秋と行き交う空”のもとで、香港の人々は、これから、どのような中秋節を迎えるのだろう。