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私の第三十四夜をつづります。

台風が去って、被害の格差を知る

台風15号の被害の大きさを訴える声や現場のようすを、ネットのなかで知る3日間となった。

8日夜から9日朝にかけて、私は台風らしい雨風の音をほとんど聞かなかった。
朝になって、そろそろと窓を開けると、ベランダの床に大きなツタの葉が1枚だけ、吸いつくように落ちていた。
空は青空…『台風は平塚の空のどのあたりを通り過ぎていったのだろう?』

台風が通過する前夜、私はベランダの植木鉢を隅に寄せ、懐中電灯やラジオを用意し、飲み水を冷蔵庫に確保し…と、いつもの台風より身構えて過ごした。
そして一夜明け、目の前に台風の痕跡が見当たらないことをいぶかしく感じた。

昼になって、台風が上陸した関東地方の様子を心配した友人からメールをもらった。
「知らないうちに通過して…」と間の抜けた返事をする。
そのあと、鵠沼に住む人との電話で、藤沢では住宅の外観などにもそれなりの被害があるらしいこと、道路が混雑して車が渋滞していることを知る。
どうも、近隣の町では様子が違うらしい…と初めて思い至る。

そして、夕方に逢った平塚の友人の話は、前日に畑で一働きして台風に備えたことがほとんどだった。友人も私と同じように、不安を感じることなく、一夜を過ごしたのだった。

その後、今日まで、大島や千葉県などで、台風の被害がとても大きいことを知る。

こうした被害の地域格差が、今回の台風の印象をゆがめているのだろうか。
今朝開いた新聞の一面TOPに選ばれたのは「小泉氏、環境相で初入閣 文科相は萩生田氏」の報。
今回、報道の目や耳が、台風被害のさなかにある人々の困難な現況を訴えることなく、政権の人事の行方を追いかけていることを、虚しく映し出している。

台風が通過して3日目、猛暑の中でそれぞれの被害に向かい合う人々の今を思わずにいられない。人々の”今”は、私の”いつか”なんだ…そう思わずにいられない。