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私の第三十四夜をつづります。

マッケンジーというジャーナリストが撮った写真


戸棚の奥に眠っている古い本のなかには、無残な姿のものがある。
今日、もっとも無残な1冊を引っ張り出した。その薄手の学習参考書に掲載されているはずの写真を確かめるため。

『テーマで学ぶ 図説 中学の歴史』(帝国書院 1991年)は、すでに本体と表紙がバラバラになっていた。
パラパラと頁を送る。すぐにそのモノクロ写真は見つかった。キャプションには「韓国の反乱義兵 祖国を奪われた元韓国軍兵士の鋭い決死の表情。」とある。

28年前、この写真を見た時、彼らの鋭い視線と銃口が自分に向けられていることを強く意識させられた。
けれども、日々の生活にかまけていた私は、その写真の背景についても、またその延長上にある”韓国併合”についても、教科書の記述内容以上には知ろうとはしなかった。

ただ、それから28年後の今、読み終わろうとしている本・・・『物語 朝鮮王朝の滅亡』(金 重明 岩波書店 2013年)という本・・・の”第四章 朝鮮王朝の落日 ―併合条約の締結”の扉に、そのモノクロ写真が載っていたことで、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、自分のなかの空白の一隅が満たされた気がした。
それは何の空白なのだろう。

朝鮮半島と日本の、それぞれの100年間に堆積した凶々しい歴史について、私が空白のままであること。

義兵たちの鋭い視線の先に、今も変わらずに私が存在する。
20世紀初頭の朝鮮半島に生きた彼らの視線の先に、21世紀初頭の日本に生きる宙ぶらりんの私が存在する。

 

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28年前に見た写真:
『物語 朝鮮王朝の滅亡』によれば、撮影者はマッケンジーというジャーナリスト。