ようやく涼しくなりはじめた頃、東京の友人とメールのやり取りが続いた。
いつもより、美術展の話題が多かった。
友人は、”あいちトリエンナーレ2019”の「孤独のボキャブラリー」を観にゆくこと、できれば再開予定の”表現の不自由展・その後”も観たいと書いてきた。
私は、友人が好きなA.ワイエスの作品展について返信したりした。
(そのやり取りのなかで、友人がワイエスの作品のなかでも、とくに「薄氷」という作品が好きなのだということを初めて知った。私は、「海からの風」について書き送ったりした。)
また、昨夏に利尻・礼文の島を訪ねた旅のなかで、スコトン岬の丘の建物(礼文町)を見た時、ワイエスの絵画の世界や、映画『八月の鯨』の舞台…メイン州の海辺の世界を思い浮かべたことなども書き続けた。
(書いてから、友人にそのことを書くのは二度目だったと思い出した。そのスコトン岬の丘の写真も送っていたのだった。いつのまにか、同じ話を何度も繰り返すようになっている私…やれやれ。)
そんなメールのやり取りを終え、10月になって、私は家族との旅で知床・釧路を訪ねた。
台風の余波が旅先の空や海を暗くしていたけれど、それでも、温根内の湿原を歩いた時間は、秋の空に秋の風が吹き渡った。
そこには枯れ草色となった葦の草原が広がり、乾いた木道がどこまでも続くのだった。
『どこかで見た風景…絵のなかで?…テンペラ画のように乾いた質感の?…』
カメラのファインダーには、ワイエスの質感、ワイエスの緻密さにも似た風景が広がっていた。見たことがないのに、遠い記憶を呼び覚ますような風景に胸が高鳴った。
そして、次に東京の友人からメールが届いた時には、今、私が目にしている葦原と木道に吹く風の写真を送ってみようと思った。友人の記憶も呼び覚ますかもしれないから。
温根内木道①
温根内木道②
温根内木道③