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私の第三十四夜をつづります。

久米島の浜辺

2018年3月、初めて沖縄を訪ねた。
以来、友人や家族に誘われて沖縄への旅を重ねるなかで、それまで縁遠かった南の国の人々や風土が少しずつ親しいものになってゆく。

一方で、ゆきずりの観光客として沖縄を旅する時間のなかで、疚しさに似た言い表しがたい気持ちが湧きあがることがある。
それは、たとえば、蝶の通り道に風が吹きぬけ、木々の合間からまぶしい光が差し込むなか、思わず『あぁ、なんて幸せな…』と感じる一瞬だったりする。
(多くの犠牲の刻印を残す”沖縄”という地で、生命の充足感に満たされている自分に対するよく分からない感情…それは、一瞬の幸福感の裏側から湧きあがってくる。)
11月の久米島の旅のなかでも、こうした瞬間があった。

きっと美しかった沖縄。きっと優しかった沖縄。
でも、それらが失われた時代があった。多くの犠牲が払われた時代があった。

それでも、今、美しい沖縄は美しい。
それなのに、今、優しい沖縄は優しい。

昔も今もこれからも、ずっとそうでなければいけないのだと思う。

 

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はての浜

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はての浜

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はての浜

 

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イーフビーチ①

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イーフビーチ②

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イーフビーチ③

     

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                久米島の浜辺の一皿