enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

眠りの姿なのか、祈りの姿なのか。

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11月18日の大山

18日、海老名市の龍峰寺・国分寺厚木市金剛寺を訪ねてきた。

とても風の強い一日だったのに、空気はゆるみ、西の空に連なる大山は、ほぼ青一色にかすんで見えた。

思えば、私たち一行がその日に拝観した仏様はいずれも、収蔵庫の闇のなかで過ごされていたのだった。
その日の空に溢れていた光も、激しく騒ぐ風の音も届かない、現世から隔絶された一室に、ずっと、ずっとなのだった。

見上げる空間に浮かび上がる静かな仏様の姿。その姿に魅入られる時間…それはいつものような単調な刻みをもつ時間とは違う。
現世の日々の事象に翻弄され、そのつど、波立ちと濁りを繰り返すだけの心が、仏様の前の時間のなかで、平らかに鎮まってゆくように感じた。

仏様が、今も確かに生きてそこに在ることの不思議。
私たちが、その仏様の前で、己の生命を感じなおすことの不思議。

 

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                 金剛寺の境内で

 

最後にうかがった金剛寺の境内のなかに、周囲とかけ離れた空気が漂う窪みがあった。その”結界”には、ひび割れ、痛々しい修理跡を残す仏様が潜んでいたのだった。
小さな仏様は、すっかり眠りに浸っているようにも見えたし、また、何か一心不乱に祈り続け、かすかにつぶやいているようにも見えた。

 

日常の時空間に戻った今、思う。

現世の目まぐるしい事象のさまざま…入れ替わり立ち代り、心を乱して止まない出来事…それは、私にとって、辺野古の現在であったり、香港の現在であったり、あるいは政権中枢にはびこる病巣の醜悪さであったりする。それらの問題は、いまだ解決や希望へと向かう出口が見つからず、無力感・閉塞感を募らせ続けるものばかりだ。

そうした日常の今、思う。

あの境内の小さな仏様が、私たちと同じように、現世の陽射しのなかに在り、現世の風雨のなかに在ること…。あのように無残にひび割れても、瘤のような修理跡を加えられても、それはそれとして、そのままに在り続けていること…。