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私の第三十四夜をつづります。

富雄丸山古墳で①

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12月5日の富士山(新幹線車内から)

5日、晩秋の奈良に向かった。
その日の午後、「富雄丸山古墳」の発掘体験に参加するために。

遺跡の発掘体験という”夢”…40代半ばから考古学を学ぶようになってから、できれば一度経験してみたいと思っていた。
その夢が、この年齢になって、奈良という”場”でかなうとは。
しかも、日本最大の円墳の主体部を発掘するのだ。すごすぎると思った。
一方で、全くの素人の私が、貴重な遺跡を掘ったりしてよいものか?…とも思った。

新幹線から近鉄に乗り換え、京都から奈良へ。
そして「学園前駅」からバスに乗り、「若草中央」停留所で降りると、すぐ目の前に「富雄丸山古墳」の山があった。古墳の山は黄葉した木々に覆われ、古墳の姿そのものはバス道路からは見て取れない。

:直径109mの造出し付円墳。4世紀後半。

 

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    バス停から見る富雄丸山古墳の山(丸山第1号緑地内)

 

まず、古墳に隣接した施設内で、調査の担当者の方から事前説明を受けた。
部屋には「富雄丸山古墳」の「航空レーザ測量による赤色立体地図」が掲げられていた。
発掘体験の出土遺物も眼の前にあった(みんな、手ごたえのある資料を発掘しているのだった)。

    

    「航空レーザ測量による赤色立体地図」  

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    これまでの発掘体験で出土した遺物

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円筒埴輪‐口縁部‐片の断面                    蓋形埴輪‐笠部‐片の断面

         

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さぁ、いよいよ、発掘調査だ。
長靴を借り、軍手をはめ、いざ発掘現場へ…いやがうえにも期待がふくらむ。
『私はどんな遺物を見つけることができるのだろう?』

 

富雄丸山古墳の発掘調査現場:”造り出し”部分から墳頂(主体部)を望む

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斜面から流れ込んだ葺石(造り出しの上の段)f:id:vgeruda:20191210194919j:plain

”造り出し”の縁に並ぶ円筒埴輪列(地中の残存部):
写真中央から右のほうへと並んでいる。
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 富雄丸山古墳から見る若草山:古墳は、若草山から南西約10kmほどに位置している。

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薄曇りの空のもと、1m四方の担当ブロックにしゃがみ込み、”ガリ”を握り、削り取った土をザルでふるって”手箕”に落としたあと、ザルに残ったものを素早くチェックする。

しかし、手元のザルに残ったものは、鏡片でもなく、鉄器でもなく、銅器でもなく、石製品でもなく、埴輪片でもなく…。

何度も何度も、”手箕”とザルに溜まった土塊や小石や木の根っこを土嚢袋に流し入れる。
一方、遺物を入れる”タマネギ袋”には何も溜まってゆかない。

 

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    発掘体験で作業を担当したブロック

 

それでも、最後まであきらめないぞ、と思った。
長方形の綺麗な石片を見つけ、一瞬、『石製品?』と喜ぶ。しかし、すぐに判定が下った。
「加工痕が無いので…石ですね…孔などが開いていれば良いのだけれど…」

小1時間、夢中で掘り続けた。参加者のなかには、鉄鏃や刀子などの鉄製品を発掘した人もいたけれど、私の成果は小さな土器片一つだった。

 

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   出土した石ころ(左)と土器片(右):どちらも3~4cmほどの大きさ。