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私の第三十四夜をつづります。

下醍醐から上醍醐へ①

12月5日、奈良に出かけ、古墳主体部の発掘体験に参加した。
旅に出る前、地道な発掘調査作業を経験していた友人と逢った。
念願の発掘体験を前にして期待過剰の私が、「何か、すごい遺物が出たらどうしよう… 三角縁神獣鏡とか?」と話すと、友人は可笑しそうにしながらも、『まぁ、気をつけて行ってらっしゃい』と励ましてくれた。
(結局、私にはビギナーズ?・ラックも奇跡も起きなかった。斜縁神獣鏡の本体が出てくる可能性が十分にある体験だったけれど。)

そして、その発掘体験を終えた5日の夜は京都に宿泊した。
(翌日、11世紀前半の歌人相模が初瀬参詣の旅で立ち寄った伏見大社を訪ね、その足で醍醐寺に向かう予定を立てていた。)

しかし6日朝、なぜか、伏見大社よりも先に醍醐寺に行こう!と気が変わった。何となく、そうしたくなったのだ。で、それは正解だった。結果的に、伏見大社を訪ねる時間の余裕はまったくなかった。醍醐寺だけで、一日を費やしてしまったのだから。 

醍醐寺も初めてのお寺だった。
名高いお寺をいよいよ参詣する。その楽しみに加え、秋期特別展 「悠久の祈り 醍醐寺の至宝」展で、きっとたくさんの仏様に出会うことができるはず…そう思うとワクワクしないではいられなかった(降り立った醍醐駅も、お寺までの道のりも、お寺を擁する醍醐山の姿も、私にはすべてが新鮮に映った)。

まず、醍醐寺に実際に足を踏み入れて、『醍醐寺とは、偉大な寺なのだな…』と感じた。そして、霊宝館の秋期特別展も、風が吹き抜ける仏像棟も、巡るほどに、チッポケな自分が、醍醐寺の歴史の重みに圧倒されてゆくように感じた。歴史の時間があふれている…そんな圧倒感だった。
(霊宝館では、側柱に転用された「旧五重塔四天柱」を、仏像棟では快慶作「不動明王坐像」を眼の前にした時だけ、チッポケながらも自分の好奇心を取り戻したけれど。)

 

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    宿近くの「北向不動明王」(長増寺):
    かつて訪れた伏見区竹田の北向山不動院、信州上田の北向観音
    同じように、相模国府と北向観音の位置関係に関心がある私は、
    旅先に存在する”北向”の建造物は通り過ぎることができない。

 

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醍醐寺の紅葉と黄葉:
仏像棟で冷えた体には、わずかながらも届く陽射しがありがたかった。

 

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   金堂:
   上醍醐(醍醐山:標高約450m)へと、東に高まってゆく境内を廻って
   ゆくと、少し不思議な感覚に誘われる。
   金堂は標高約50mの平坦面に南向きに建ち、抱かれるべき醍醐山を背にし
   ていない(金堂の背景の右手に山~空~左手に市街地を見せる景観)。
   また、南面する斜面を、醍醐山を源とする万千代川が流れ、清涼な印象
   があった。

 

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      五重塔
      「旧五重塔四天柱」の太さを思い出す。そして、宙ぶらりん?
      の心柱の姿を想像する。

 

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 下醍醐の奥にも流れ落ちる万千代川の水