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私の第三十四夜をつづります。

下醍醐から上醍醐へ③

 

今回の風邪(インフルエンザ?)で、これまでの生活のリズムに少し変化が生まれた。
ずっと音楽を聴くこともない干からびた生活でも、どうも思わなかった。それが、昔のCDをかけたりするようになっている。これは、思わぬ風邪(怪我)の功名かもしれない(年末という季節のもたらす気分のせいかもしれないけれど)。
いろいろと故障しているミニコンポから流れ出るピアノが、アリアが、地べたに張りついて右往左往するだけの私を、ふわりと、澄んだ空の高みへと連れていってくれるのだ。

あぁ、そうだった…きっかけは、今回の風邪だけではなかった。
12月の初旬、醍醐寺から帰ってからすぐに、ビオラ弾きの友人のコンサートに出掛け、音楽にひたる空間というものをしばらくぶりに思い出したのだった。
その日、友人が所属するオケでは初めて、「さすらう若人の歌」が演奏された。曲の通りに若い歌手が歌った。
家に帰ってから、D.フィッシャー=ディースカウのCDを探し出し、聴いた。そして、しばらくしてから、今回の風邪をひいたのだった。

再び、地べたから世界を呪詛するような生活に戻ってしまうのだろうか…2020年は、もう少し見晴らしの良いところに這い上がりたい。呪詛するだけの生活はうんざりなのだ。

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上醍醐では、山上の寺院建築の貴重さが、火災で焼失してしまう儚さと背中合わせになっていることの不安を切実に感じた。ある日突然失われてしまう危うさと常に背中合わせの尊い存在。
ただ、五大堂の空間にたどりついた時、尊いものが失われることへの不安にとらわれていた緊張感が、なぜかゆるんだように感じた。そこに広がっていたのは、何かが不在であることに満ちている空間…何と言えば良いのか、虚無であることが安らかである空間、とでも言えば良いのだろうか。とにかく、私の存在が小さく消えてゆくような空間が静かに広がっていたのだった。
(それが、立体的な尊像の不在ゆえの安らかさなのか、二次元の壁画空間がもたらす安らかさなのか、分からない。ただただ、『なぜか今日、私はここに来たのだ…』という気持ちになった。深呼吸をし、ふぅ~っと安らいだのだった。)

日常生活の”憑き物”が落ちる…そんな瞬間だったと思う。
旅空をさまよう時、音楽空間にひたる時、熱と苦痛の悪夢から回復した時、日常の“憑き物”の一部が剥がれ落ちる。
日常の泥底に沈んだまま、生きてしまっている自分に気がつく。かつて知っていた場所に浮かび上がるきっかけをつかまなくてはいけなかったのだ、と分かる。
かつて知っていた場所に戻ろう…そう思う瞬間。

 

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五大堂と説明板

 

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上醍醐からの眺望

 

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如意輪堂と説明板

 

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白河天皇皇后賢子・皇女媞子内親王・皇女令子内親王鳥羽天皇皇女禧子内親王の陵墓:この上醍醐の高みに鎮まる4名の女性たちの”場”というものに、安らかなような物寂しいような、不思議な感情を抱いた。


この時点でふと日常に戻る。すでに15時近くになっていた。このまま下醍醐に急ぎ戻っても16時をまわることだろう。
残念なことに、日常に戻ってしまった心は、帰りの新幹線ホームへと飛んでゆくのだった。

下りの山道を一気に走り降り、醍醐駅はもう直ぐ…という場所までたどり着いた時、ちょっとした段差に膝がガクッと笑った。面白いほどに膝がガクッと折れたことに、本当に声を出して笑ってしまった。

追加しておかなくては…。
”憑き物”を落とすには、体を酷使することも、声を出して笑うことも良いのかもしれない、と。
かつて知っていた場所に戻ろう…そう思う瞬間。

 

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醍醐駅の手前で見納めた紅葉