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私の第三十四夜をつづります。

平塚海岸…箱根駅伝前日の静けさ

 

1日、家族から、今から海に行く?と誘われた。昨日と違って、日没に間に合いそうな時間だった。二日続けて、海へと出かけることにした。

海岸通りの旅館前には、駅伝に出場する大学の幟が並び立っている。明日は朝早くからヘリコプターが飛び回り、町の人々が海沿いの国道に向かうのだ。

自分で(母ではなく)お正月の準備(らしきもの)をするようになってこのかた、唯一、駅伝だけがお正月という特別な季節を実感するものになった。
私が最も生命力に満ちて外界と調和していた小学生時代…その頃の楽しかったお正月の思い出と、箱根駅伝とが、分かちがたく結びついているからなのだと思う。

とにかく、箱根駅伝がある限り、私は、子どもの頃の自分の満ち足りたお正月の”気分”をなつかしく反芻することができる。

浜辺には、携帯を手にして日没近い山の端を眺める人、小さな犬と散歩する人、凧揚げする人、釣り人、ボール遊びをする人、動かない影のようにひっそりと海を見つめる人…昨日と同じように、さまざまに休日の夕暮れ時を過ごしていた。

暮れてゆく海には大島が、大きく浮かんでいた(もしかすると、夕方という時刻に、大島は顕れやすいのかもしれなかった)。中空には細く白い月も。

いつもより遠く、漁港に近い東の砂丘まで歩いた。
浜辺暮らしの猫たちの姿を眼にして、数年前まで西の砂丘で暮らしていた猫のことを思い出す。いつも、ベンチの上で脚を丸めて、遠い眼をしてじっとしていた。海を、空を、風を、光を、時間の移ろいを、浜辺の人々の誰よりも深く見つめているように思えた。

人影は多いのに、波が砕ける音だけが響く浜辺のどこかで、あの猫がまだ海を見つめているような気がした。

 

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 海岸通りの歩道で(ハクセキレイのメス?):
体をふくらませ、長らくじっとしたままだった。

 

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2020年1月1日の海と少年

 

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2020年1月1日の海とカラス

 

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 2020年1月1日の海と富士

 

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2020年1月1日の大島

 

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2020年1月1日の月

 

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東の砂丘で暮らす三毛猫