夜空を背景に燦然と輝くシュエダゴン・パゴダ(ヤンゴン 2020年1月15日)
ミャンマー…今回の短い旅で初めて訪れたその国について、本当に何も知らなかった(今も何も分かってはいないのだけれど)。
駆け足で巡ったミャンマーから帰ってきた今、改めて、大昔の教科書…おそらくはミャンマーの記述内容にそう大きな変化はないはず?…でミャンマーに関する箇所を探してみた。拾い出してみれば、次のように、それはごくごくわずかなものだった。
【『図説 世界史B 最新版』(帝国書院 1993年)から抜粋・引用】
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・・・ミャンマー(ビルマ)では11世紀、ビルマ民族の国家であるパガン朝(1044~1287)が成立し、スリランカから伝わった上座部仏教(小乗仏教)が国教とされ、多くの寺院が建てられた。この上座部仏教がのちにインドシナ半島の多くの王朝に受け入れられた。・・・(p.121)
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・・・ミャンマー(ビルマ)においては18世紀半ば、トゥングー朝が衰えコンバウン(アラウンパヤー)朝(1752~1855)が成立したが、タイのアユタヤ朝を滅ぼす一方、インドのアッサム地方にもしばしば侵入した。これに対し、イギリスは前後3回のビルマ戦争(1824~86)によって、これを征服し、インド帝国に併合した。・・・(p.246)
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・・・ビルマ(1948 現ミャンマー)の独立は平和的に実現した。・・・(p.334)
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これだけですか?…というほど短縮されたミャンマーの歴史。そこに加わる私の断片情報といえば、パゴダ、「ビルマの竪琴」、スーチーさん、ロヒンギャの問題…それくらいだった。
それでも、今回の旅で見たもの、聞いたものは、新鮮に美しくよみがえり、それらの新しい情報で上書きされた新たなミャンマー像が、おぼろげながら立ちあがってくる。
私の記憶がかすんでゆく前に、いつものように、ミャンマーの数日の断片を写真の形でまとめておく。
朝焼けと有明の月(インレイ湖畔)
白い小さな花(バガン:ケーメンガ寺院)
黄色の蝶(バガン:タビニュ寺院)