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私の第三十四夜をつづります。

アンダーコントロール

3月12日。
今日、友人から届いたメールには、『mi・ra・i・e つなごう・未来へ 出版で働くものだからこそ、できること(No.38 2020年3月10日)が添付されていた。

「あれから9年、アンダーコントロールの現実」と題された今号は、7名の方が執筆している。9年間にわたって届けられてきた小冊をスクロールしながら、その発行に係わる人たちの(出版で働くものだからこその)”意地”を改めて感じさせられた。

また、〔編集後記〕の末尾は、「原発事故などなかったかのように再稼働が進んでいます。…(中略)…ともすれば忘れがちな原発事故を思い返し、原発に依存し続けようとする現状に警鐘を鳴らします。忘れないことも私たちの課題です。」と締めくくられていた。

文中の「ともすれば忘れがちな原発事故」という言葉に、『この9年間、”アンダーコントロール”されて薄まったのは、私のなかの危機意識だったのかもしれない』と思った。

9年前のあの3月11日から15日まで、想像を超えた事態の展開を固唾を呑んで見守っていた…あの時の胸の震えのような、心が収縮するような痛みは、今も身体の記憶としてよみがえってくる。

しかし、この数年間、現政権の異様な振る舞いが強烈な”目くらまし”となって、そうした本能的な危機意識が薄まってしまったようだ。

現在、パンデミックという形で、ひたひたと人々の生活・人生を巻き込みつつある事態に対しても、今改めて本能的な危機意識を取り戻す必要があるのだと思う。

”アンダーコントロール”と、軽薄に語られた言葉が、いよいよ虚しく愚かしく響く2020年春。

だからこそ、私たちは、未来へ(mi・ra・i・e)向かって、そして見通しの利く未来にするべく、地道にしっかりと歩いてゆかなければならないのだ。