今朝、朝食前に駅に向かう。『週刊文春』を買うためだ。たぶん、私にとって生まれて初めてのことだと思う。
グラビア頁を開く。
2018年3月7日のノートの写真だった。
赤木俊夫さんが、自ら人生を閉じる前に、他者に向けて訴えた言葉がそこに在った。
まさに”魂の叫び”だったのだと思う。
命をふりしぼるような言葉だったと思う。
「 手がふるえる. 怖い
命 大切な命 終止府(マゝ) 」
そして2017年7月の手帳の写真。
7月7日(小暑)の欄には「 初蝉 」とある。
また欄外には「 7/19 梅雨開け 」と書き込まれ、大きく四角枠で囲まれている。
20日の欄には「(病気休暇)」、21日と22日の欄にかけても「(病気休暇)」の文字。
しかし、本文記事(相沢冬樹氏執筆)によれば、赤木さんは「結局、そのまま職場に戻ることはなかった。」
今日の参議院財務金融員会で、麻生財務大臣は、「近畿財務局の職員が」「自殺をされるということになった」「言葉も無く」と、原稿を読みあげる。
また、安倍総理大臣は、「真面目に職務に精励していた方が」「自ら命を絶たれ」「痛ましい出来事」「本当に胸が痛みます」「改ざんは二度とあってはならず」と取材に応じる。
両者とも、赤木俊夫さんの名を口にすることはなかった。
その淡々と”他人事”のように繰り出される言葉・・・そこには何もなかった。
浮かばれない。そう思った。
何も解決されていない。怒りとともにそう思った。
『赤木さん。私も自分の2017年の手帳を開いてみました。あなたと同じように、7月19日の欄に「梅雨明け」と書いていました。』
『赤木さん。私は2018年3月、16日と30日に国会前の集会に参加していました。27日の欄には「(佐川氏.証人喚問)」と記入しています。』
『赤木さん。あなたと同じ時代に生きていたことを確かめつつ、2020年3月18日の今からは、提訴の行方を見守ってゆこうと思っています。』
【過去の『enonaiehon』の記事から】
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2017-03-04 苛立つ。
数年前から、国会のネット中継を視聴することが多くなった。
このところ頻繁に質問を受けている財務省理財局長の答弁。
その一から十まで、納得がゆかない。
理財局長の答弁を構成している”土台”が理不尽であるがために、説得力を持ちようがないのだと思う。
理財局長はほとんど同じ答弁をすらすらと繰り返す。それだけに終始する。
質問者が聞きたいことの核心について、決して答えまいとする意思だけが、はっきりと伝わってくる。
理財局長の”誠意”が、国会中継を視聴している私たちのほうに向けられていないことだけは、はっきり分かる。
私たちのための答弁でないことだけは、はっきり分かる。
ネット画面上の理財局長の答弁に苛立つ。
*その後、彼の肩書きを修正した。いまだ、答弁するにあたっての彼のスタンスは変わっていない。
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2018-02-11 ”赤い靴”
10日に届いた朝刊・夕刊の一面 TOP には、それぞれ「森友交渉 新文書20件」・「黒田日銀総裁 続投へ」のタイトルが踊っていた。朝夕の紙面の背後には、ずぶずぶと引き込まれてゆく泥沼が広がっているように思えた。
そして、それらの記事とはかけ離れたこと…アンデルセンの童話『赤い靴』のことを思い出した。記事から漂う気配には、子どもの頃、初めて『赤い靴』を読んだ時に感じた”空恐ろしさ”と似たようなものがあったからだと思う。
前理財局長(現国税庁長官)も、現日銀総裁も現首相も、それぞれの”赤い靴”をはいているように見える。
そして、「長い白いころもを着た天使」は、彼らに「おどれるだけおどるのだ! おまえのすきなように。もっと、もっと、おどっていけ!」と言っているように見える。
彼らの振る舞いが、”赤い靴”に魅せられた少女カーレンの振る舞いに重なってくる。
「それでもまだカーレンは、おどりつづけました。いや、おどらずにはいられませんでした。」
それでも…いつか彼らにも”赤い靴”を脱ぐ時が訪れる。
その時、ずぶずぶとした泥沼から、どのような”異次元”の兆候が浮かびあがってくるのだろう。それはやはり”空恐ろしい”ものなのではないだろうか。
「赤い靴」の少女と天使(『アンデルセン童話集 絵のない絵本』 昭和28年 創元社)
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