enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

ミレーの『春』との新しい出会い。

 

4日の夕べ、いつものように眺めていたネットのなかに、ヴァイオリンを弾く仁和寺のお坊さんの姿があった。
境内を吹き通る風にひるがえる白い衣、湧き上がる弦の音色。

今、地球上ですでに進んでいるのかもしれない”天人五衰”の相…そうした現実をまだ見通していない私は、天上の楽人の姿にひととき元気づけられた。

明けて5日朝、TV番組のなかでミレーの『春』が採り上げられたことを知った。

ミレーの『春』の絵を後生大事に想い続ける私にとって、書き留めないではいられない特別なできごとだった。

すぐに本棚から『週刊美術館 13  ミレー コロー』小学館 2000年)を取り出した。

『春』の頁を開く。
虹の光を生み出す鉛色の美しい空。光と空気がせめぎあう不思議な空間。そこには、虹が立ち顕れた瞬間の光と空気が織りなすもの、それこそ”動的平衡”の瞬間が、そのまま映し出されているように思える。

また、今回、『春』を眺めなおし、あらためて気がついたこともあった。

虹に近い鉛色の空から、白い鳥が3羽、青みをのぞかせる小さな空をめざして、飛んでゆこうとする姿だった。『これらの白い鳥は…?』と思った。

『春』の下段の解説には「作品には亡くなった友人ルソーへの追悼の思いが込められているともいわれる」とある。

確かに、『春』には、小道の奥の木陰に、『晩鐘』の農民のような静かな姿でたたずむ人が描きこまれている。
また、『春』の風景はすみずみまで細やかに描かれ、ミレーの、というより、テオドール・ルソーの描く風景に入り込んだような細密な空間になっている。

とすれば、今朝初めて気がついた”天がける白い鳥”も、やはり、ミレー自身の祈りの形なのかもしれなかった。

先の見えない巣ごもり暮らしのなかで、こうした音楽や絵画との小さな新しい出会いに、ひととき息をふきかえす瞬間がある。
小さく息をふきかえしながら一日一日を繰り返してゆくのだ…。

 

【過去の”enonaiehon”から、ミレーの『春』を拾い集める】
____________________________________

2011.12.18 

三十数年ぶりにセガンティーニの絵を観た。20代で出逢ったセガンティーニは、当時、三島由紀夫から伊東静雄へと辿って知り得た画家の名であり、作品だった。長い間、大原美術館を訪ねた際の若い思い入れ、感傷の記憶だけが残っていた。今、60歳で観るセガンティーニ・・・その絵筆の跡、絵の具の輝きは生々しく、初めてセガンティーニという画家その人に出逢った気がした。質素な便箋に書かれたつつましい文面を覗き込みながら、その短命を痛ましくも感じた。小さな印刷画として展示されたアルプス三部作「生」の前で、ジョルジョーネの「テンペスタ」についても思い出した。400年の時差がありながら、二人の画家は、樹木の根元に休む母子像を描いている。空と大地を背景に木陰に安らう新しい聖母子像にも思える。そして、「テンペスタ」の雷鳴の空はミレーの「春」の虹の空へとつながっていく。唐突に、私は思う。時代も風土も文化も異なる彼らの絵の中に、現代の日本に生まれた私は、果たして何を観ようとしているのだろうかと。また、ヨーロッパと同じ400年の時間のなかで、日本に生きた絵師・画人が個人として描くべきものがあったとするなら、それは何だったのかと。

                                 

セガンティ-ニ「生」アルプス三部作 1896-1899f:id:vgeruda:20200405094035j:plain

 

ジョルジョーネ「テンペスタ」1507

f:id:vgeruda:20200405094019j:plain

 

ミレー「春」1868-1873f:id:vgeruda:20200405094053j:plain

 

____________________________________   

2014.4.6

ベランダのクリスマスローズの一つめの花は色褪せ、種をつけた。その大きな葉の下には、小さな白いスミレが隠れるように咲いている。かつて比叡山で見かけたスミレより頼りなげに咲いている。
図書館への道の途中で、似たようなスミレの群れがあった。まわりには小石がごろごろ。けっこう、たくましいのかな、と思う。
図書館で伊豆山近くの大縮尺の地図をコピーさせてもらう。四時半のチャイムが鳴って、外に出る。地面が濡れていた。ちょうど雨上がりだったのだ。
噴水の上の空を見上げると、きれいな鉛色だった。昨日気がついたケヤキの若葉が光っている。西の雲の切れ間からの光で不思議に明るい。虹こそ出ていないけれど、ミレーの『春』に描かれている光線と同じように、非現実的な明るさだった。なんてきれいな光だろう。

アリアケスミレ?

f:id:vgeruda:20200405094111j:plain
_______________________________________

 

【追記】

~2020年4月4日、休館中の図書館に本を借りに行って…~

 

コロナ禍による休館中でも、予約していた本を受け取ることができる。
久しぶりの図書館の階段では、踊り場の二手の流れが、昇り・下りに分けられていた。

f:id:vgeruda:20200405133736j:plain

 

図書館近くの大きな桜の樹は、この春、大きな切り株へと変じていた。

知らなかった…。
在ったもの、長年見ていたものが、いつのまにか姿を消していた。

気を取り直し、博物館の裏手の桜の樹を訪ねてみる。
空が隠れる花盛りだ。

来年もまた。

f:id:vgeruda:20200405133817j:plain

 

石畳の小道で、カツラの小さな葉、元気そうな若葉にホッとする。
昨年、無残に刈り込まれ、その葉をあらかた失っていたのだから。
今年の秋の黄葉を楽しみにしているよ。

f:id:vgeruda:20200405133845j:plain