enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2020年5月に思う。

f:id:vgeruda:20200524160037j:plain 浜辺で暮らす猫

 

2020年5月もそろそろ終わってゆく。
人魚姫の公園の色とりどりの薔薇たちも、重く重なり合う花びらをはらはらと散らしはじめている。早くも、次の季節へ向かう兆しを見せている。

人間もあんなふうに、心や肉体や生活を覆う皮膜を季節ごとにはらはらと振るい落とせるのなら、どんなに軽やかで気持ち良い人生だろうといつも思う。

一方、コロナ禍に襲われた2020年春~初夏の社会は、否応なしに新たな時代へと押し出されてゆくようだ。そして、その行く先の見えない新しい流れとは別に、一つの流れの道筋も見えてきた。ようやく、その澱んだ道筋を俯瞰して捉え得る時期に来たのだと気づかされた。

それは、現政権によって続けられてきた政治的パワーハラスメント、その理不尽な振る舞いによって社会に生じた無数の傷跡が、今や人々の目に網羅的な形で見えるようになった…そういう流れの道筋だ。

そうなのだ。
私(たち?)は今こそ覚醒し、その流れと訣別し、一人ひとりそれぞれが、新たな道を模索するべき時期を迎えているのではないか。

私はといえば、昨夕の報道番組の冒頭での、痛烈な皮肉を込めたキャスターの言葉に改めて気づかされたのだ。

「”無意味なお詫びの繰り返し”というギネスブックの記録はまだありません。」

そうなのだ。
これまでの私(たち?)の社会は、あたかもDVにも似た構造のなかで、現政権による政治的な嫌がらせにさらされ、政治への信頼を踏みにじられ続けてきた…そのような関係性のなかで力なくもがき続けてきたと気づかされたのだ。

この数年間、私(たち?)の抗議と抵抗の叫び声は、そのつど、”無意味なお詫び”によって無効化され、そのつど、虚偽と隠蔽の振る舞いによって、未来への希望と公正な社会の姿を見失い、無力感と怒りに満ちた空間へと押し戻されてきたのだった。

そうなのだ。
理不尽で不可解な政治の流れを阻止するための突破口は今回こそ見つかる。新しい社会への出口は近づいている。

ルイ14世」的とも例えられた現政権の振る舞いを受忍し隷属する日々から脱出し、コロナとの共生の道を探りつつ、一人ひとり、それぞれの新しい生活へと、勇気を出して一歩を踏み出す機会がとうとう巡ってきたのだ…そう信じ始めている2020年5月。

 

【5月の季節のなかで】

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マツヨイグサ              トキワツユクサ

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ネズミモチ?              ハコネウツギ