コロナ禍の日々は、心を少しずつ貧しくしているように感じる。
摂り込む情報が偏り、心が干からびてゆくのを感じる。
心の淀みに浮かぶ”うたかた”は、宰相の口元にとり憑く式神のような白い小さなガーゼマスクであったり、首振り扇風機のように虚ろな運動を繰り返す宰相の会見姿であったり…。
節目ごとに摂り込む滑稽で矮小なイメージが、かつ消えかつ結ぶ毎日…。
もともと偏食気味だった狭苦しい心は、呑み込んだ”うたかた”を、日々反芻する。その”うたかた”のサブリミナル効果に満ちた暗示によって、日々心が澱んでゆく。
知らず知らずのうちに、どこまでもスポイルされ続ける。いよいよ貧しく干からびてゆく。
こうして、いつも特別な季節であったはずの六月が、コロナ禍で失調した心を置き去りに、通り過ぎてゆく。
どこかで、こんな流れを切り替えなければ、と思う。
そんな6月18日。
私に、遠い南の国の濃密な空気を思い起こさせる花たち…その色を、形を、香りを、ひととき思い出す。自分の時間の流れを取り戻す。
六月の花①
六月の花②
六月の花③